七尾旅人のコーナーという曲、久しぶりに聴いてちょっと感動したので紹介します。
雨撃
この曲は彼のファーストアルバム、雨に撃たえば…!Disc2(通称”雨撃”。Disc1は旅人さんのおうちにあるそう)に入っています。
このアルバム、歌詞カードが手書きになっていて結構難解です。
余白とか行間に絵や文字がみっしり書かれていたり、伏せ字があったりするのです。
コーナーの歌詞も伏せ字があって、歌い方も独特に崩しているので何を言っているか理解するのは容易ではありません。
僕からの個人的お願いとして、曲を流すのは僕がOKというまで、待って下さい。
まずは僕の紹介をお読みいただきたいのです。
灯りとは
歌い出しの歌詞からして、一筋縄でいきません。
轟音ギターに続いての歌い出しで、灯りに対する二つの相反するスタンスを述べます。
それが綺麗(キレイ)と嫌い(キライ)。しかも聞き分けにくく歌っていて、この感情が紙一重で裏表であることを感じさせます。
灯りが嫌いって、なんでしょうかね?
寝る前に電気が付いてるとまぶしくて不快、なんて思いは誰しもあるでしょうが、 ここで言いたいのはそういうことではないようです。
そういう灯りは普通「綺麗」の裏表とはならないからです。
この「灯りは嫌い」がどういう意味であるかについて、七尾旅人自身がブログで書いてますので記事を引用します。
“雨撃”から数年経過しています。
峠からの夜景がきらいだった 遠く見える街の灯よ
ここからみる夜景がきらいだった 遠く見える街の灯よ
あたたかな灯のもとで なみだ流す こどもたち
あたたかな灯のもとで おのれを殺す おとなたち
(まがりかど:Ψ人生おかわりΨ)
僕たちは普通夜景の灯りを見て、そこで頑張る人々や暖かな団らんを感じるわけですが、彼はむしろそこに「なみだ流すこども」や「おのれを殺すおとな」を見ていたようです。
灯りが嫌いという意味はこれではっきりしました。
彼は自分の曲のモチーフについて、別の記事でこんな風に言っています。
どの曲も、制度(政治の結果)から零れ落ちていくもの、無視されてゆくものが
モチーフになって書かれているので、
ある意味「政治的」だったとも言えます。
で、ただひたすらその続きを作り続けてきたというのが
僕の実感です。
(ボクチンは。。:Ψ人生おかわりΨ)
そしてまた、そのモチーフの背景にはバブル崩壊後の閉塞感や、オウム真理教の事件であったり、酒鬼薔薇事件など、社会を揺るがした出来事の存在がとても大きいことも同じ記事で語っています。
彼が「灯りが嫌い」だというのは当然といえば当然、意外な表現に見えたのは僕達が鈍感だからというだけだといえます。
この観察眼の鋭さと、さらにそれを「灯りが嫌いだった」という超シンプルな一言にまとめてしまう天才的な言葉のセンスが七尾旅人の歌詞の凄いところでしょう!
旅人、第一の抵抗
さて、この歌はそのような負の感情に対して、旅人がどう向き合おうとしたかが歌われます。
テーマは「大嫌いだった”綺麗な灯り”に対する俺の抵抗」じゃないかと僕は思います。
それが最初のサビだと思います。ねえこない?と誘って…つまりは。
第一の抵抗、「なみだ流すこども」や「おのれを殺すおとな」たちを無理矢理連れ出す!
ところが自分自身苦しんだことを経験しているらしき旅人は、連れ出そうとしたって「ひっぺがせない」こともよく知っています。
だからってあきらめてたまるか!とばかりに第二の抵抗を示します。
第二の抵抗
それが、二番のサビです。
「精一杯の笑顔」は、「灯りが嫌いだった」と同様に一見不可解な表現が出てきます。
笑顔って自然に出るものであって、精一杯なんていう形容が付くのは本来おかしいわけですが…
彼が救い出そうとしている人たちが置かれている状況を考えれば、こんなにピッタリな表現も他に無いでしょう。
彼らだって、なんとか抵抗して自分を保とうとして、そうして示すのが「精一杯の笑顔」なのではないでしょうか。
そして、この歌のキモである第二の抵抗が宣言されます。
彼は、自分が救おうとしている人々の「精一杯の笑顔がくずれた」とき(かつ、ひっぺがせないとき)に第二の抵抗を行うと宣告するのです。
どうするかというと、
「全ての君のとなりの部屋で、パーティをやる」!!
連れ出せないなら、となりで(しかも、すべての君のとなりで!)俺が歌う!アンド音を鳴らす!
言うまでもなくそれがこの歌、コーナー!
凄すぎる!格好良すぎるよ、旅人…!!!
OK!
というわけで、お聴きください。
七尾旅人で、コーナー!!
ていうかなに、配信されてないんですか??超もったいない…
ちなみに僕がseesaaでブログをやっている(2011年当時)のは完全に彼のパクリであることをここで初めて断っておきます(^-^)