プラトンの『メノン』が本当にすごいのでそのすごさを紹介したいと思います!
副題なんて笑い飛ばせ!
『メノン』には副題があって、それは「徳について」だとされています。
前回『メノン』には藤澤訳と渡邊訳の新旧二種の翻訳があることを紹介しましたが、この副題はいずれの訳でも同じです(渡邊訳の方では「アレテー」というギリシア語読みのルビが振られて意味の広がりがとられていますが、基本は同じです)。
では、この『メノン』の価値がどこにあるかといえば、それは副題にある「徳」に関することではありません。
てか、むしろ「徳」がどうだとかそんなことはどうでもいい。
「徳」について研究したいのであれば、『メノン』は何の役にも立たないただの時間の無駄にしかならないでしょう。
辞書が存在しない時代だったのならまだしも、既に定まった辞書がいくつもある現代においては、「「徳」の本質をまずは探求せねば」などという本書の結論はクソの役にも立ちません。
広辞苑を引くよりも前にそんなもんググレカスでおしまいです。
最後に語られる、「徳は教えられるか否か」についての結論も、投げやりに出された無理矢理感があってこれまた無価値なものです。
『メノン』の価値は、副題とは別のところにあります。
そしてその価値は、『メノン』が書かれた時代とは全く異なる様相を呈する現代においても全く損なわれていないどころか、ますます重要性を高めてすらいるように僕には思われます。
では、『メノン』には一体何が書かれているのか?というと・・・
メノンくんの憂鬱
そもそもこのタイトルになっているメノンは人の名前です。
彼はソクラテスのところに、「ソクラテスと話したことある俺かっけー」的な実績づくりのために来ました。
あわよくば、「ソクラテスはこう言ってたんだけどね」的な話題も作れたらいい的な下心もあったことでしょう。
そういうちゃっかり者なところがあるのがこのメノンくんなのであって、決して謙虚に師匠につき従って教えを請おうとしているマジメ学生風のキャラではありません。
彼はただ世渡りに長けているだけの人間として描かれています。
今で言う、意識高い系キャラとかある種のにわかファンとかいうのがピッタリだと思います。
そんなメノンくんは自己啓発の本とか読んだり勝ち組の人が出てる講演会とかに行ったりして、成功術みたいなものを自分なりに身につけてきていると確信していました。
そのノリで、ソクラテスに対してそれっぽい質問を用意して会いに来たのですが・・・
「ホントバカだな、お前。何も知らねーでやんのギャハハ(^Q^)/””」
直接的にそのようには言われませんが、実質的にそう言われたに等しいくらいに彼は打ちのめされます。
「いや、僕は誰それっていう成功者の本を読んだし講演を聴いてきたんですよ!誰それっていう人とコネもあるんですよ!」
と反論してみても、そんなものは所詮自己満にすぎないという現実をたたきつけられます。
そしてソクラテスは、さきほど僕が「クソの役にも立たない」と述べたつまらない結論をメノンくんにくれてやって話は終わりです。
てめーにはこれくらいがお似合いだ、とでも思われたのかもしれません(^ー^;
かわいそうなメノンくん・・・
僕だってメノンだし、キミもきっとメノン
メノンくんは「なんでもかんでも偉い人に教えてもらおう」という甘ったれたスタイルをとっていたせいで自滅したのだと思います。
そんなわけで、「プラトンを読んだ俺かっけー」とか「ソクラテス(プラトン)はこう言ってたんだけどね」的な結果を求めて『メノン』を読むのであれば、メノンくんのように悲惨なことになるかもしれませんよ?(^ー^;
なんてのは冗談です。
プラトンもそこまで鬼ではありませんし、なにもイジメがしたくて『メノン』を書いたわけではなく自分の学校で使う教材として書いたようですから目的はあくまでも教育だと思います。
僕は日頃から自己啓発とかバカにしてますけど、でもそんな僕であっても、やっぱりメノンくんみたいなところが自分には無いとは到底言えません。
偉い人に聞いてそれを疑問の答えとする、というやり方はスピードの求められる社会の中ではとても有効です。
そして自分の頭で考えるなんてことは言葉の上では言われることはあっても、実際問題そんなことしてる暇はほとんど与えられません。
これは大学であっても同様だと思います。
僕も大学に行って学問をがっつりやろうと思っていましたが、実際は日々の試験に追われてとにかく黒板に書かれたこと、教科書に書いてあることを信じて覚え込むというスタイルが一番実践的でした。
多かれ少なかれ、僕たちはそういう環境に半強制的に置かれている側面があると思います。
だからこそ、現代社会でもメノンくんは多くの人にとって他人ではないと思います。
そして『メノン』におけるメノンくんフルボッコ状態を目の当たりにすれば、「なんだ結局自分何も考えてなかった、考える機会がなかった」と気付くと思います。
でもただ気付くだけじゃないんですよ、『メノン』の凄いところは。
気付かされた上で、「ちょ、待てよ!」と自分で考えてみたくなるようなネタがぼんぼん放り込まれてるんですよ、『メノン』ってあんなに薄い本なのに!!!
これこそが、僕の考える『メノン』の価値です。
ありがたいことが書いてある本というよりは哲学体験そのものをさせてくれるという、本当にすごい本なのが『メノン』です。