唐突ですが、みなさんはもし結婚するとして、どんな結婚指輪が欲しいですか?(^-^)
あなたの左手薬指に飾るものは
永遠の輝きと世界一の硬度を誇るダイヤモンド?
もしくは、自分の象徴として見てきた誕生石?
あるいはそういったたいそうなものではないけれども、親から受け継いだものや二人の思い出に満ちた特別ななにか?
そんなことをつらつらと並べていって、エピソードを添えてみるのも面白いでしょう。
ところで今ここで、仮にですがこんな意見を言う女性が居たら、どうでしょうか?
「ドーナッツのリングでプロポーズされたい!」
食い意地張ってる・・
結婚を舐めてる・・
ていうか薬指には太すぎる!
もしそんな反感を覚えてしまったとしても、どうか一度堪えて彼女の意見に耳を澄ませてみてほしいのです。
川本真琴の登場
ドーナッツのリングが欲しいとのたまったその女性は、アニメ声でトークもテンポがずれててアホっぽい、バカ娘の一種と扱われがちだった川本真琴です。
彼女の言葉選び、遊び方はセンスに溢れとても楽しくとても切ないのです。
定番の結婚式ソングとされる誰かさんの「永遠にともに」は上っ面のキレイさだけで中身のないものでした。
結婚そのものの地位、特別さも失われつつあるような空気の現代ではちょっと寂しい感じです。
「ドーナッツのリング」が欲しい川本真琴は、友達の結婚式のためにある曲を作りました。
その名もずばり、ドーナッツのリングです。
結婚の堕落も極まれり・・?いえいえ、そんなことはありません!
この曲の歌詞を読めば、結婚を信じてみようかな?なんて思えるかも?!
というわけでアルセスト的歌詞レビューの第4回目、スタートです。
地球が発する音楽
今回は最初から見てみます。
歌っているのを聴くのでも良い。自分で口ずさむのでも良い。
とにかく、このリピートされる感覚を味わってください。
ほんとうの実力者は無駄な繰り返しはしない(前回のジョンレノンしかり)という良い例です。
静かな晩に夜空を見上げながら思いに耽るような、とてもいい雰囲気を持った歌い出しです。
ただ雰囲気がいいだけではありません。
ちょっと変わった倒置が披露される「回転の地球の音」。
要するに地球が回る音(韻の関係で語順が転倒している)だと思うのですが、非常に鋭く面白い指摘です。
地球が回る音って、どんな音でしょうか?
仮に音があるとして、地球はずっと回り続けているのですから多分人間が生まれたときから今までどこにいてもどんなときも聞き続けてる音のはず。
だから、僕たちはそれを無音と区別出来ないかも知れません。
すげえ!
これ1つだけとったって一晩語れそうなネタです(^-^)
かつてこれと同じようなアイディアを提示した哲学者がいました。
古代ギリシアの数学者、三平方の定理で有名なあのピュタゴラスです。
彼は天体が軌道上を移動するとき、甘美な音楽である「もろもろの球体の調和」を発散するといっています。
残念ながら人間はその音楽を認識することは出来ない、とも。
そんな認識不可能なはずの音が聞こえてくると言っています・・
今、静かなところで宇宙を見上げながら、自分の奥底に耳を澄ませているのかもしれません。
地球の回転する音が聞こえてくるくらいに今心を研ぎ澄ませて何かを見つけようとしているのです。
捜し物はきっと、本当の気持ち、といった何かでしょう。
あるいは答えは既に出ているけれども、それが本当の心からの願いかどうかを確かめようとしているのかもしれません。
見つけたもの
ここで、歌詞の続きを見ます。砂粒の描写の箇所です。
やっぱり何か探していて、しかもちゃんと見つけたようです。
それは、とってもとっても大切なものなのだけれど、しかし地球や宇宙みたいな壮大なものではなかったみたいです。
もっとずっとちっちゃな、砂粒みたいなもの。
広大な宇宙に視界を広げてからの、足元の小さな砂粒へと移っていく流れがなんとも豪快かつなめらか。
裸足で砂浜を歩くと足の裏に砂粒が付着します。足を上げるとそれがぽろぽろと落ちていくのが分かります。
このとき僕たちは普段意識しない小さな砂一粒一粒を意識しますよね・・
そんな風に、かすかな存在感しかないものだから、今まで気付かなかったのでしょう。
けれどもそのかすかなものの1つ1つ(それはきっと、想い出みたいなものだと思います)に、探していたものは確かにあったようです。
ここまでたった4行だったのですが、いかがですか?
アニメ声で歌う頭の緩いバカ女なイメージはこの段階でがらりと変わったのではないでしょうか?
どう考えても超の付く天才でしょ??
他の数多のJ-POP勢がカスに見えてくるでしょ??でしょでしょ!
決意のシーン
続く箇所で、初めて結婚をイメージさせる言葉が出てきます。
そう、「祝福」というキーワードです。
単純に自分たちが幸せになりたいというだけでなく、周囲の人間にも祝福してもらえるような、そんな関係でありたいという願い。
これは個人的な恋愛関係を超えた別次元の関係へと踏み出そうとしている状態に思われます。
だからこの歌は、やはりただのラブソングではなくて結婚を歌った歌なんだと思います。
それこそコブクロが脱し得なかった「ただのきれいごとな恋愛」とは違う、責任を伴った関係への移行(仮にそれを結婚と呼ばないとしてもこの場合は問題ありませんが・・)を思わせるのです。
続く非常に美しい情景描写に相まって、結婚に踏み切る瞬間が描かれています。
終わるという言葉が続くことからも、この歌の中では「今まで」と「これから」は明確に区別されています。
ここでいう「これから」は僕は結婚のことだと思うのですが、明らかになにがしかの厳かさをもっています。
誓いの重み
いよいよのサビでついに出ました、ドーナッツのリング!です。
それにしてもとてつもない使われ方です・・
ここで矢継ぎ早に挙げられる諸々(ドーナッツのリング手前まで)。
恋人たち、仲間たちというのは「人」を指しているようでいて、ただの「人」ではない何らかのエピソードを伴った人間です。
すると、ここに並んでいるのは実は全て「出来事」であると言えます。
ささやくこと、抱きあうことは愛し合った出来事。
嘘つく、奪い合うは傷つけ合った出来事。
そして、その末に出すことで生まれる「誓ったこと」の重み。
「永遠にともに」の無意味な羅列とは大違いです。
ただし、良いことと悪いことを対比させそれを乗り越えるというのは、ラブソングの定番・・かどうかは知りませんが、少なくないパターンだと思います。
ここでもっと大事なのは、それらがすべて「ドーナッツのリング」だというところです。
このジャンプしまくりな発想こそ川本真琴の真骨頂です。絶対ほかの誰も発想しない。
「繋がっている」「循環している」ことの象徴としてのドーナツだなんて。
なんという可愛くて愛らしい世界観でしょう。
お菓子の甘さややわらかさ色合いの穏やかさが、ここでの巡り巡る出来事すべてをやさしく包み込んでしまいそうです。
そんなサクサクふわふわスウィートなイメージでこの箇所のレビューを締めてもいいのですが・・
これってあれでしょ的な、もしかしてあのことなんじゃねみたいな、気になる妄想があります。
世界は物の総体か
デモクリトスのアトミズム(原子論)はご存じでしょうか。
デモクリトスもピュタゴラスと同じく古代ギリシアの哲学者です。
デモクリトスは実験手法などが全く確立していない古代において、思索だけで自然界を構成するのがそれ以上分割不可能な微細な粒子=アトム(原子)であると考えました。
まさしく今の自然科学のベースと同じ結論ですので、デモクリトスは受験生向けの化学の参考書などで「すごい人」として取り上げられたりしてます。
しかし僕はそうした記述を見るたびに、そんなにデモクリトスはすごいか?と反論したくなります。
ほかにも偉大な哲学者はたくさんいたのに、デモクリトスを特にすごい人として扱うときは原子に基礎を置く考えが絶対的な真理であることを想定している気がするのです。
それはたまたま今現在のパラダイムで信じられているだけの思想に過ぎないのかもしれないのに、です。
残念ながらアトミズムには重大な欠陥があります。
それは、この世界観には人間が大切にする「価値」や「意味」という概念が全く存在していないことです。
アトミズムに基礎を置くサイエンスがいくら発展しても「わたしとはなにか」「この宇宙はなぜ存在するのか」「なぜソクラテスは死ななくてはならなかったのか」といった価値や意味を含む疑問には基本的に無力です。
そんななか、とても示唆に富むある文言があります。
それは次のようなものです。
世界は事実の総体であって、物の総体ではない
(ウィトゲンシュタイン、『論理哲学論考』の命題1.1)
世界を物の総体と捉えるのは正しくアトミズムです。
そうした考えは、社会的に有用ではあるし人間が世界を認識する上ではある意味自然なやり方なのかもしれません。
ところが、ウィトゲンシュタインはそれは世界の姿としては間違っていて、むしろ世界は「事実の総体」であると言っています。
で、ドーナッツのリングのサビを見てください。
この歌の主人公は、結婚を決意して今までを振り返って世界が無味乾燥な物の総体ではなく、出来事(事実)により成り立っているという世界観にたどり着いてしまった。
そしていままでの出来事がすべて今につながっていることに気がついた。
嫌なこと、忘れたいことにも意味を感じられる‥
だから。
今なら自信を持って言える、一緒に生きていこう!
深い思索の果てにたどり着いた「一緒にいよう」の重みがここにはあります。
これで終わりじゃないお!
信じられないことですが、これで終わりではありません。
2番に入るとむしろこっからがもっとすごいんです笑
んな馬鹿な。
でも見てみてください。すごかった前半よりさらに進化していませんか。
考えてみたら、前半は結婚を決意するまでだったので、その後でさらに表現が洗練されるのは当たり前っちゃ当たり前です。
にしてもこんなにかよ笑
川本真琴、ほんと色々考えてたんだろうなあって思います。
本来他人であるところの二人の人間が手を取り合うという、ある種異質な状態を創造してそれを守り続けることの難しさを、この歌のこの人はこれまでの付き合いから学んでいるのでしょう。
だからこそ、そんな困難に立ち向かえるなんて簡単には言えない、まだまだいろんなものが「欲しい」。
ただ、そんな状態でも結婚に踏み切れるのは支えてくれる相手がいるからです。
なかなか手に入らなくてつらいときは、抱きしめて涙を受け止めてくれる人です。
だから今は欲しいものが手に入っていなくても、この人とならいつか自分も変わっていけると信じられるのでしょう。
ああ、なんて深い深い繋がりに到達してしまったのでしょうか!
さらなる高みへ!
そして第二のサビです。
最重要箇所です。
もはや、笑う。
前半であれだけ凄まじいジャンプを実現しておいて、ここでさらに高みに登ってます・・
だって、いきなり「生まれることも なくなることも」です!
生まれること。
そしてなくなること。
真っ先に浮かぶのは、人の一生です。
この世に生まれ、そしていつか迎える死。
どんな人間であっても始まりと終わりはこれです。
では歌詞の上では「生まれること」と「なくなること」の間に、「覚えたこと」「忘れたこと」等々の事実の集合を並べるのが適当なのでは?という気がしてきます。
ところが川本真琴はここで、ほとんど継ぎ目なしにいっきに「生まれることも なくなることも 覚えたことも・・」と歌いつないでます。
一気にドーナッツのリング♪というところまで歌い上げます。
これは哲学的なのを超えて、もはや哲学だ
よくテーマが深い歌詞のことを哲学的、なんて言ったりします。
しかしドーナッツのリングは哲学的であることを越えて哲学そのものと言っていいものに到達している気さえしてきます。
生まれることとなくなることは、何も人の一生の始まりと終わりに限ったことではない。
むしろ、その2つは繰り返されるもろもろのうちの1つに過ぎない。
そしてそういった繰り返されるもろもろが連結してひとつのドーナッツ(世界)を構成している。
そんな思想がここに伺えるのです。
だから、人間は生まれてから死ぬまでに「生まれること」と「なくなること」を、ちょうど今見た歌詞のように何度も何度も繰り返しているのです。
命の誕生と終焉だけじゃないんです。
僕たちもよく知っている、星空がぐるぐる回ったり、波が行ったり来たり、季節が巡ったりするみたいに!
命が生まれることもなくなることもそこに含まれ、その前後が繋がりを持ったドーナッツのリングの一部だったんだよ。
結婚の意味
生まれ、手にしたもの。
それらはいつかは失われなくなっていきます。
けれどもなくなっていく一方ではなく、どこかで次の新しい何かが生まれます。
次々にいろいろなものが「なくなること」を経験し、悟ったとしても。
そして自分自身もいつかは「なくなること」が宿命であると知ってしまったとしても。
それでも次の「生まれること」に賭ける。
結婚は、種としての人類全体を象徴する生命活動の一つなのかもしれません。
終わりに
繰り返す満天の星空。
繰り返す地球の回転。
繰り返して打ち寄せる波。
そして環となり繋がる事実の総体、ドーナッツのリング‥
美しい情景のもと、幾度の絶望にもめげずに希望を繰り返そうとする人類の本質が垣間見える。
驚愕の一作。
いつか結婚するならそのときにはもちろん、僕がいつか「なくなる」ときにもこの歌をかけたい。
そんな、大切な曲です。
2017追記
現在iTunesストアではリテイク版のみ入手可能となっていますが・・・
僕は洗練されすぎているリテイク版よりも、上記リンクで紹介した昔のベスト盤で聴けるオリジナルバージョンを推します。
そんなにコブクロのことを悪く言わなくても良いのではないですか?
そうですね。
コブクロ自体をよく知っているわけではないので、コブクロの『永遠に共に』の歌詞だけは良くない(というか、少なくとも僕は好きになれない)、と改めます。
ニーチェのツァラトゥストラですね!
すべての喜びは永遠を求める!
ニーチェ!
ずっとプラトンが好きだったので、ニーチェは避けてきましたが最近ハイデガーが気になりはじめてニーチェも読むことになりそうな僕にはホットなネタですw
すべての喜びの究極型はドーナツだったのか!!衝撃
ドーナッツのリング歌詞が、ニーチェ著の「ツァラトゥストラがこう言った」と同じことを言ってると感じたので!
ニーチェの考える時間の円循環(永遠回帰)=川本真琴のドーナッツのリング
といったところでしょうか笑
ハイデガーはニーチェの著書を読むと理解が進みますよ〜
ニーチェの価値転換の枠を超えた考え方だ、とハイデガー本人は言っているので笑
そうなんですね。
高校のときに、国語の先生がニーチェが引用で出てきて傍線が引かれてたりしたら諦めろ、なんて言ってたんですよw
どうせ誰もできないってw
でも、「ツァラトゥストラ」を筆頭に名前バンバン目にしますので、いつかは対峙することになるかなって思っていました。特に、川本真琴がここで到達した地平と視線を共有していたのであれば、俄然興味がわきます。
いくつか翻訳があるみたいですけど、おすすめがあれば教えてください>< ハイデガーについては、他の人の哲学書で存在論に手詰まりを感じていたときに出会ったのですが、あまりに強烈な鋭さに震え上がりました。 今の所木田元先生の「拾い読み」しか読んでいないんですけど、めっちゃ興奮してますw 先日次の一冊を本屋で模索していたときにゴツくて超高価な「ニーチェ」ハイデガー著を発見しましたよ。アレはすごいですね!
私が読んだのは、光文社のツァラトゥストラ 上・下でして、
色んな翻訳があると思われますが、とても読みやすかったですよ!
ニーチェの著者を読むならスピノザも読むと、ニーチェが言わんとしたいことがより理解しやすかったです。(また、図書館にある、適当なニーチェ名言集などをざっくり読むのは、ニーチェという人を知るうえで私はありでした笑)
ベルクソン・ディルタイあたりも挑戦したいですね。
ハイデガーは詳しくないのであまり触れませんが(笑)
ブルデューのディスタンクシオンが一番の衝撃でした。
趣味がその後の人生に大きく影響するなんてまさか!