無事警察から帰還しました!あたりまえですが(^ー^;
巡回連絡カードはどうでもいい
昨日の日記、「今から警察に行って来ます」の続きです!
結論から言うと、警察的にはこのカード、どうでもいいみたいな印象でした。
肩すかしというか、あまりにアッサリしていて悩んだ自分がバカらしく思えたくらいです・・
僕の住んでいるところは住宅が多くて、比較的穏やかな地域だと思います。
だから、警察ものんびりしているかもしれませんね!
受付で立ち話
さて、警察署に入った僕はまず受付に行って、受け取った巡回連絡カードを出して、
「あの、このカードについてなんですけど」
と切り出しました。
クレーマー扱いされると困るので、あくまで穏やかに、むしろ多少怯えた感じで行きました。
受付には結構歳の行った男の警官が座っていました。
「このカードについて知りたいということですね?」
と聞いてきたので、そういうことではなくて、このカードに関して意見を言いに来ましたと告げました。
すると、受付の警官は「ではどうぞ」とうながしました。
僕はちょっと「アレ?」って思いました。
というのも、僕は結構がっつり語りたかったですし、報告と言うよりはちょっとした話し合いが出来たらと思って来たつもりです。
まさか受付で全貌を話すことになるなんて思ってもいませんでした。
受付はその人一人ですから、次の人が来たら話を切り上げなければなりません。
それに、この人が担当の部署かどうかも分からないのに話す意味が果たしてあるのか疑問でした。
でも、話しているうちにそこら辺の対応もしてもらえるのかなと思って、一昨日あったことを話しました。
- 勝手にドアを開けようとしたこと
- その場での記入を迫られたが、このカードの記入は義務なのか
- 他人に見られないよう管理すると宣言しておいて、持ち歩いて平気で見せて回るのはいいのか
- 警官は訪問するときに自分の名前を名乗らないのか
- 本籍みたいなデリケートな情報を一体何に使うのか
- 警察を偽装した変な人と、警察を、僕たち一般人はどう見分けたらいいのか
- カードの管理は交番でなく署の方でお願いできないか
- 告知をするなど、カード記入をうながす取組はしていないのかといったところです!全部一通り話しました。
警察(受付)の回答
で、受付の人は同情は示してくれたものの、何というかずっと他人事って感じでした。
解答としては・・
- 本人に確認を取らないことには何とも言えない(ありえないことではないかという質問には答えず)
- 義務ではない。むしろ住人が無料で利用できるサービスと考えて欲しい
- 見せたというより、見えただけであり、持ち歩くのは巡回に必要なことだから、ちょっとくらいはご理解いただきたい
- 私服の時は手帳を見せるようになっているが、制服の場合は省略しがちかもしれないが、そこはご容赦いただきたい
- 本人確認に役立つことがあるのでそのような欄を設けているが、カード内の項目は記入者が任意に選んで良く、書きたくないところは書かなくてよい
- 無言で苦笑
- 担当の地域ごとに交番が管理しているので、署では受け付けていない。もし今回の件で、特定の警官に渡すのが嫌であれば別の警官を出向かせることは可能
- していない。案内のパンフ等も特に作っていない
ついでに言われたのは、出すのはいつでもいいので、納得されてからで全く構わないということです。
回収に警官が来ても気が向いたら出しますで追い返してもらって何も問題ないと言われました。
うちに来た警官の不快な対応については、何とも言いようがないということ以上のことは言われず終いです。
僕が感じた不安や不快感は、考えすぎじゃねみたいな空気でした。
甘すぎる警察
署を出た僕は微妙な気分でした・・
まず最初に頭に浮かんだ言葉は、
「甘い」
です。
これじゃあ警察に何か提案しようとかいう気分は一切なくなってしまいます。
僕は無くなりました・・お互い時間の無駄をしてしまった気分です。
下手に僕の言い分を認めて責任問題に発展するのを危惧したのか分かりませんが、終始第三者的立場で高みの見物を決め込む姿勢は、何かあったときに頼りにしたくなる気を失せさせます。
まあ、この地域が平和だと言うことなのかも知れません。
でも、僕は公務員の人には常に僕らの味方でいるという気持ちを持っていて欲しいです。
公務員を目指すなら
ちょっと前に、株で手軽にカネ儲けをしようとする人間は大嫌いだという日記を書きました。
それと並んで僕が納得いかないのが、「安定しているから」という理由で公務員になろうとする人たちです。
これは本末転倒もいいところです。
公務員は、仕事をしっかり遂行出来るように僕たちみんなが支えている職種です。
ですから、彼らは僕たちのために是非とも誇りを持って働いてほしいです。
神様が安定を授けている仕事ではないのです。
大学にいると、リスクをしょってでもお金持ちを目指したいなら「企業」へ、やりたいことがあるなら「大学や研究施設」へ、そして安定を求めるなら「公務員」みたいな図式があるように思います。
もし僕の大学以外でもこういった風潮があるとしたら、大学は公務員養成機関としては存在意義を失いかけていると言いたくなります。
もし公務員を目指すべき人間がいるとしたら、それは
「困っている人を見たら、心が痛む」人間ではないでしょうか?
生きる
そこで参考になるのが、黒澤明の「生きる」という映画です。
生きるって何でしょうね?!
アリストテレスは、人間は「社会的動物(ゾーン・ポリティコン)」だなんて言ってたようです。
あるいは人間は一人では生きていけない、なんてことを、一匹狼的なキャラが物語りの終板で呟いたりしますよね。
そんなことを考えながら、この映画を見てて、僕はとても感動しました!
主人公は公務員で、彼は自分が生きるとはどういうことか考えますので、公務員を目指す人にも考えるネタを与えてくれると思います。