偽Perfume

なんと素晴らしいタイトル、人間ぎらい

読めば読むほどにハマってしまった本を紹介します!

人間ぎらい

モリエールの「人間ぎらい」、これはやばいです。
なんといってもタイトルにまず触れないわけにはいきません。

誰かが言っていたのですが、「愛してる」や「好き」の反対語は、「嫌い」や「憎い」ではなくて「無関心」であるそうです。

確かに好きと嫌いは相反するというよりは、近くにある感情のように思われることが少なくありません。

日本ではツンデレの文化を見るとこの状況がクリアに解りやすいと思います。

例えば涼宮ハルヒが誰かに「好き」という状況はなかなか想像できませんし、もしそんなシチュエーションに出くわしたらハルヒは狂ってしまったのではないかと心配になります。

でも、顔を真っ赤にして、大好きな人相手に「バカ」とか「嫌い」とか言う姿は容易に想像できる上に、そんな状況でハルヒが相手に伝えたいのが他ならぬ「愛」であって「憎しみ」でないこともまた容易に理解できることと思います。

そんなわけで「人間ぎらい」というのは、ともすれば人間が好きで好きでたまらない人間についての物語である可能性も存分に匂わせるタイトルだと思います。

17世紀の作家モリエールに対して、21世紀のツンデーレのフィルターを通して論じるのもこのブログの持ち味ですよ!

かわいそうなアルセスト

さて、それでは本の中身に触れていきたいと思います!

この本は、17世紀のフランス社交界で純真に生きようとするがゆえに周りを煙たがらせて嫌われてしまう哀れな貴族男性アルセストの物語です。

これだけ聞くと、社会人としての教訓めいた悲劇なのかな、と思うかも知れませんが、そんな物語だったら僕は即座に読み捨てます。

この作品の面白いところは、哀れなはずの主人公が案外と正論を語るところです。

わがまま、あるいは狂気めいているものの、アルセストの主張は実直であるし正義のように見えます。

解りやすく言うとアルセストの主張は教科書的です。

小さい頃に大人が子供に教えるような、そんな純な正義を彼は追求し、遂行しようとしているのです。
ですから、ある意味で彼は高貴な精神を持った人間であると言えます。

ところが、実社会ではそんなものはほとんど通用しなかったりします。

笑ったあとに泣けてくる

正直者が馬鹿を見る、とか、真面目だけでは損をする、とか、ある程度のずるさが無いと世渡りできないとか、誰しも一度ならず耳にしたであろうこう言った言葉からもそれはうかがえると思います。

それで僕たちは気がつけばそういうずるさや手の抜き方を覚えていって、理想やあるべき姿の追求をやめてしまいます。
そんな自覚すら持っていないのが普通なのかもとすら思えます。

なので、純真なアルセストを見ると滑稽で笑える一方で、どこかむなしさ寂しさが感じられてしまいます。

解説によると、ある詩人はモリエールの作品について次のような評をしたそうです。

「つい今しがた、モリエールの男らしい笑いを笑ったばかりだのに、今ではもう、それを泣かずにはいられない」

詩の批評

面白いことに、アルセストが非難する社交界のうわべだけの人間関係というのは、多かれ少なかれ今を生きる僕たちにとってもそんなに無関係なことに思えません。

一例として、アルセストがある貴族オロントの詩を批評するシーンをご紹介したいと思います。

オロントはアルセストに対して、今後とも仲良くしていきたいので、そのしるしとして自分が書いた未発表の詩を紹介したい、と言います。

ついてはその詩が公表に値するものかどうか、ご意見伺いたい、というわけです。

これに対してアルセストが難色を示す部分です。

アルセスト いや、僕はそんな事柄を決定するには、どうも不向きな男なんですから、そいつはどうか願い下げにしていただきましょう。

オロント それはまた、どうしたわけで?

アルセスト そんな事柄の決定となると、どうも必要以上に、率直に物を言う欠点をもっているんですからね。

アルセストは自分が世間でどういう目で見られているか知っているのです。

世の中的には、お友達や地位のある人間の書いた詩は、何はともあれ持ち上げて賞賛すべきものかもしれません。

しかし彼は手放しの賞賛はつまり欺瞞であって、徳に反すると考えるのです。

その結果として、オロントが期待するのとは違った辛口目な評価をしてしまうのは目に見えているので、こんな風に詩の批評を辞退しようとしたのです。

しかしそうしたアルセストの配慮が分からない単純なオロントはこう続けます。

オロント いや、それこそ私の望むところです。私はあなたが作り飾りなく物を言ってくださるよう自分を空しゅうしているのに、もし私の期待を裏切って、心にもないことを言って下さろうものなら、それこそこちらでは、まことにもって遺憾千万なんですが……

そこでアルセストは、そういうことなら、とオロントの詩を読むことを快諾します。
ところがこれがまた酷い詩で、アルセストは呆れてしまいます。

それでも約束に従って、アルセストはオロントの詩を細かく批評していきます。
そして、同じテーマでもっと優れた古い詩を紹介して、こんな風に表現した方がもっと良いですと言います。(この部分は非常に細かいですし、長くなるので引用は控えます)

これに対して、オロントは激怒します。
反論ではなく、怒りです。

オロントはアルセストに、褒めてくれとは言わずに思ったところを飾り無く言って欲しいと言ったのにも関わらず、その通りにしてくれたアルセストに対して怒るのです。

挙げ句にはオロントはアルセストを裁判所に訴えて追放しようとさえします。

爽快なラスト

こういうことは今の世の中でもいくらでもあるように思います。学校の中、職場の中、家族の中・・あらゆる場面であると思います。

それで、思ったことを正直に言うことは慎むべきであるという世渡りテクニックを誰しもが身につけるのだと思います。

毎度毎度で恐縮ですが、例えば涼宮ハルヒが孤立したのもアルセストと似たような純真さゆえなのかもと思えたりします。

ハルヒの場合、指向するのは実直であることとか正義であることというよりは、もっと楽しみたい!生を謳歌したい!という、より個人的な欲求のようではあります。

ところがその際に否定的に論じられる、「ほかのみんながしていること」のつまらなさ、くだらなさ、そこで満足することの愚かさについては、アルセストと通じる部分も少なくないように見えるのです。

さて、ハルヒには例の某男子がいたように、人間ぎらいのアルセストにも良き仲間が一人だけいました。

その名はフィラント。
彼はときにアルセストをたしなめ、ときに理解を示し、ときには愚痴を言います。
まるでどこかの誰かさんみたいです。

物語は悲劇的に展開し、そして終盤アルセストは自暴自棄になってやけっぱちな行動に出ます。

そんなアルセストに対して、フィラントが、恐らくはやれやれと肩を落としつつも、そして恐らくは溜息混じりでありながらもきっぱりと言います。

「さあ、僕たちはどんなことをしても、アルセストの計画をぶち壊そうじゃありませんか。」

この爽やかさ。

読んでいる方が人間ぎらいになりそうな描写の列挙が、アルセストの破滅へと舵を取ってそこへ邁進したラストに訪れる、このひと言。

作者モリエールの人間への深い信頼を感じさせて余りあるラストだと思いました!

おすすめの名作です

作者は人間がきらいで、そのおかしさ、むなしさ、くだらなさを言いたかったのではなく、

また同時に真っ直ぐに生きることが無駄だと上から目線で主張したいわけでもなく、

人間のおもしろさ、愛すべき姿を描こうとしたのだと思います。
本当に面白かった!

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