偽Perfume

オスマン帝国崩壊と英国の三枚舌外交を復習

最近いろんなブログでスンニ派過激派組織ISIS(自称イスラム国)に関する新書レポなんかがされていますね!

新書は高くて読めないので

新書、本屋に行くと最新のトピックでいくつもの本が出ているので読みたくはなるのですが基本どれもちょい高めなので僕は図書館か古本でしか読みません(^-^;

なので、ISISみたいな新しめのトピックだと図書館でも貸し出し中になっていてなかなか読むことは出来ません。

それにそもそも、世界史でパレスチナを勉強したのももはや遠い記憶の僕では、いきなり新書なんか読んでもちんぷんかんぷんの可能性大です。

けれども、911のテロ以降日本人も犠牲者にすることがあるイスラム過激派を無視することは出来ません。

単にグローバル化によって日本人がいろんなところに行くようになっただけとも思われるのですが・・・

ニューズウィークとか国際的なニュース誌では中東情勢は常に話題となっているので、これを機にそもそもの問題点を整理してみようと思います。

安心してください、僕はセンター試験世界史で93点取った男です(^-^)(コルシカがイタリアかフランスか分からないで間違った記憶があります(^-^;)

多文化容認のオスマン帝国崩壊

もとをただせばバビロン捕囚が・・・とか、紀元前までさかのぼる必要性もあるかもしれません。

でも、我らが必修世界史をやった記憶をひもとけば、一番の転機は何と言ってもオスマン帝国の崩壊でしょう。

イスラム教スンニ派が多数を占めつつも、シーア派どころかギリシア正教会やカトリック、その他少数派キリスト教徒までが共存していたオスマン帝国は第一次世界大戦での敗北により崩壊し、その広大な領土は欧州列強により分割されました。

ここがちょっと複雑で、悪の帝王イギリスさんが超余計なことをしでかしたがために、現在でも未解決で数多くの死者を出し続けているパレスティナ問題が発生することになりました。

イェルサレム

19世紀後半、世界各地でのナショナリズム台頭とともに、国家を持たない流浪の民だったユダヤ人たちも祖国を取り戻したいという目指すシオニズムが盛り上がりました。

ユダヤ人にとっての祖国とはパレスティナにあったユダ王国とイェルサレム王国のことで、特に神殿のあったイェルサレムこそが帰るべき場所として想定されていました。

しかしそのあたりは当時イスラム教のオスマン帝国領土となって数百年が経過していました。

オスマン帝国を支配していたのはトルコ人ですが、イスラム教を作ったのはアラブ人で、彼らにとってもイェルサレムは特別な地でした。

なぜなら、予言者ムハンマドが昇天したという岩のドームがあったからです。

もう一つ、キリスト教にとってもここは重要な場所なのですが、詳細は省きます(^-^;

第一次世界大戦での英国とオスマン帝国

第一次世界大戦では、それより前に勃発した第一次バルカン戦争で敗北を喫していたオスマン帝国はドイツ三国同盟に接近、ブルガリアと共にオーストリア=ハンガリー二重帝国と手を結んでいました。

そのため、ヨーロッパの英仏露三国協商と対立していました。

英国はオスマン帝国の領土分割をもくろみその領土に攻め込みますが、砂漠だらけのアラビア攻略に手間取ります。

そこで。

彼らは、現在で言うサウジアラビアにあるメッカ周辺に住むアラブ人を利用することにしました。

アラブ人にパレスティナでの独立を約束

砂漠の民であれば、この砂漠だらけの地でも有利に戦うことが出来ると踏んだのでしょう。

しかしトルコ人に支配されていたものの、アラブ人には英国に協力する筋合いなんてありません。

そこで英国が利用したのがアラブ人にとっての聖地パレスティナです。
反トルコ蜂起を起こして英国に強力してくれたなら、戦後にアラブ人の国をパレスティナに作ることを約束しよう。

それが、アラブ人首長と英国外交官の名を冠した「フサイン=マクマホン協定」でした。

アラブ人はその約束を信じて、独立を目指してトルコ人に対して反乱を起こしました(アラブ反乱)。

お金に困ってロスチャイルドにパレスチナでの建国を約束

一方、戦争での資金調達に困っていた英国は、大資本家ロスチャイルドに出資を頼むことになります。

ロスチャイルドはユダヤ人であり、当時のユダヤ人のメインテーマはシオニズム。
祖国再建です。

なので交渉の切り札はもちろんパレスティナ。

戦争が終わったらパレスティナにユダヤ人の国を作ってあげる。
英国外相はそのようにロスチャイルドに約束しました。

それが「バルフォア宣言」。

大戦後、パレスティナはどちらの手に?

さて、米国の参戦により第一次世界大戦は終結して英仏露三国協商は戦勝国となりました。

英国を信じて独立国家樹立のため協力したアラブ人、そしてユダヤ人も喜んだことでしょう。

いったいパレスティナはどちらの手に渡ったのか?

結果は開けてビックリ、パレスティナはどちらの手にも渡らず、英国のものとなりました。

は?(^-^;

意味分かんないっすよね・・・

でも英国からしたら、それは当然の成り行きでした。

だって、同盟を結んでいたフランス、ロシアとの間で三国でオスマンの領土を分割しましょうや、って決めていたのです。

僕のノートでは、英仏の間での分割しか書かれていないのですが、英国がパレスティナ、ヨルダン、イラクを、フランスがレバノン、シリアを頂くことになっていました。

このサイクス=ピコ協定が結局は採用されて、パレスティナは英国の委任統治となるセーヴル条約が結ばれました。

その後、革命により同盟を外れたロシアによってこの密約がバラされて、英国の二枚舌だの三枚舌だのと言われるようになったとさ。

パレスティナ分割、そして中東戦争へ

第二次世界大戦でナチスドイツに大虐殺されたユダヤ人。

彼らのために、第二次大戦後パレスティナにイスラエルという国が作られました。
このとき、アラブ人のためにもパレスティナは半分割譲されました。

半分?
人口比率では圧倒的にアラブ人の方が多いのに、です。

このイスラエル優遇を巡って、アラブ人は不満を蓄積し第一次中東戦争が起こります。

経緯はさまざまですが、その後もイスラエルは周辺アラブ国家との間で何度も何度も戦争を行います。

そして、それにことごとく勝ちます。

なぜなら、イスラエルのバックには米国がついているからです。
世界一の超大国の中枢には数多くのユダヤ人が入り込んでいて祖国のために米国をイスラエルの守護者とさせていました。

だから、あんなに小さく孤立しているように見えるイスラエルが、アラブだらけの中東において無敵を誇ったのです。

911、そして現在

以上の経緯から、アラブ人には戦わねばならない理由があります。

彼らは住んでいた場所を荒らされて理不尽な優遇を目の当たりにされて、同胞達がたくさん殺され難民となってしまいました。

かといって、ユダヤ人の方にも譲れない大義があります。

彼らは紀元前にそこに国家を作り、その後長い間流浪を強いられ、ようやく祖国を取り戻したのです。

アラブの人たちが憎むのは、もちろんイスラエルに違いないでしょうが、それよりもなお憎いのは裏でイスラエルを支援し続ける米国なのでしょう。

米国やその同盟国を目の敵にして残虐行為を行う過激派が絶えない背景にはそういった事情があるように思います。

彼らに理由を与えてしまった責任はあるものの、米国は自らの否定に繋がりかねない譲歩を示すわけにはいかないのでしょう。

過激派を力尽くで踏みつぶし、ときには拷問だって必要だといって(ディック=チェイニーでしたっけ?)みせるなど過激派ばりの対応をしています。

今日も英国は紅茶をすする?

ところで、そもそもやらかしたのは英国さんでしょう?

ウィキペディアの記事なんかを見てみると、巧妙な英国さん、ちゃっかり線引きはしっかりやってて三枚舌ではなくちゃんとどの国との約束も守れるようになっていたなんて書かれていました(ウィキペディア:三枚舌外交)。

まあ、センター試験用にしか世界史を学んでいない僕からしたら何がなんだか意味不明っす(^-^;

結局はユダヤ人とアラブ人の問題なんですかね、英国からしたら・・・。

優雅な紳士の国、恐るべし。

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