小説ドグラ・マグラを彩る独創的な概念が「心理遺伝」です。
小説としてのレビューはこちら(ネタバレありのドグラマグラ)。
心理遺伝とは
思考する場は中枢神経系にあるのではなく、体を構成する細胞一つ一つが思考している。
各細胞は原初の生命の頃からの記憶を引き継いでいる。
これが心理遺伝の概要です。
根拠となるヘッケルの反復説
心理遺伝は直観によるものではなく、れっきとした科学として作中には登場します。
その論拠を彩るものとして、たとえば胎児が見る悪夢についてまとめた『胎児の夢』なる強烈な印象を放つ論文が扱われたりします。
しかし心理遺伝の根幹を支えるのは、発生過程で見られる進化を反復したかのような成長過程、いわゆるヘッケルの反復説にあると言って良いと思います。
“Haeckel drawings” by Romanes, G. J. – Romanes, G. J. (1892). Darwin and After Darwin. Open Court, Chicago.. Licensed under Public domain via ウィキメディア・コモンズ.
これはウィキペディアから引用した、ヘッケルがスケッチした様々な生物の胎児です。
左から魚、サンショウウオ、リクガメ、ヒヨコ、豚、牛、ウサギ、人間です。
左横の数字は順に発生段階が進むことを示しています。
よく高校生物の教科書や資料集に出ているものです。
左横の数字Ⅲの行を横に見ると多様な形態になっていますが、ⅡやⅠではどの生物も結構そっくりです。
生物学的にみると
最初の段階で似ているだけではありません。
もっとくわしく見てみましょう。
人間で言うと受精卵が分割していく過程で上の図でⅠの段階まで発生が進むとエラのようなものが形成されます。
そしてシッポのようなものも形成されています。
これらは出生前に無くなるので、Ⅲの段階では既にエラやシッポは無く、通常人間の赤ちゃんにエラやシッポはありません。
このように、ほ乳類は発生の過程で一見無駄な、いずれ消失する形態を作り出すようです。
ただ、ほ乳類の祖先がエラを持った魚類やシッポを持った爬虫類であったことを考えると、受精卵が人間らしくなる過程で一時的に魚になったり爬虫類になったりしているように見えます。
というわけで、これらの観察結果からヘッケルは「個体発生は系統発生を繰り返す」と考えたようです。
個体発生とは、受精卵が一個体として成熟することで、系統発生とは生物種が、原始的な生物種から進化すること(例えば魚から爬虫類、爬虫類からほ乳類)を言います。
反復説は科学か?
で、この反復説は科学といえるでしょうか?
ちょっと厳しいですよね。
根拠が「見た目が似てる」であるからです。
見た目が似ていても、それらが共通性を持つかどうかは一概に言えません。
そこを一歩突っ込んで論理的に検証するかどうかが科学と疑似科学の境目ではないでしょうか。
一見して見える特徴だけで共通性があるとは決めつけず、そうではない可能性を排除しない、というのが科学的アプローチだと思います。
反復説の弱点は、個体発生中に現れるエラのようなものやシッポのようなものが、魚類や爬虫類のものと同じかそれに近いものであることを示している、と決めつけている点です。
ある生物種を、その生物種として特徴付けているものは、基本的には遺伝子でしょう。
遺伝子が特定配列や構成が異なるから、別の生物種と分類されることになります。
しかしご存じのように、どんな生物でも遺伝子は受精卵から個体になるまでの間で変化しません。
途中で魚の遺伝子になったり、爬虫類の遺伝子になったりはしないのです。
つまり、系統発生をリピートするのはあくまで「見た目」に過ぎないのです。
遺伝子レベルでは反復説は成立していません。
見た目が反復するわけは?
ところが、そうは言われてもという気がするのも事実です。
どうして不必要なエラやらシッポらしきものが一次的とはいえ作られるのか?といった疑問が残ります。
最近言われているのは、個体発生が系統発生を反復しているように見えるのは、生物が進化する際には計算に基づいて新規の器官をデザイン設計する「のではない」ために副次的に起こる現象だという見方があるようです。
生物は、自然淘汰や遺伝子の突然変異によって、今ある構成体の一部を改変することでしか新たな器官を作り出せないのです。
つまり、空を飛ぶのに最適なマテリアルが羽毛だから羽毛を発達させて鳥になったのではないのです。
爬虫類のウロコの遺伝子をちょっと変えると羽毛に変化させることが出来て、そうするとたまたまうまく飛ぶことも出来たから羽毛が選ばれた、という考え方です。
要するに進化には進化前の素材が必要不可欠なのです。
ゼロから創造するということは、原理上不可能のようです。
確かにほ乳類にエラは必要ありませんが、エラを利用してちょっと改変すると複雑きわまりない循環器系(心臓血管系)を発達させることが可能だったのです。
ですから、エラらしきものを一度作ってしまう方が簡単に循環器系が作れるのでしょう。
このように進化で獲得した形質を発現する際に、進化前の素材を経由することはあり得ることのようです。
なので部分的に見るとまるで個体発生は系統発生を反復しているように見える、というだけのことのようです。
一事が万事こうであれば、反復説も正しいということになるのでしょうが、これにはいくつも例外事例があるらしく、以下の文献にその点が詳しく書かれています。
反復説の魅力
ヘッケルの反復説はビジュアル的で非常に分かりやすいばかりか、多分に詩的で物語性に富んでいます。
ドグラマグラを作る際に、才能豊かな夢野久作がそれに感化されて豊かな想像力を刺激されたのも無理ないことでしょう。
ただ、あくまで理論として見た場合、やはり科学というよりは疑似科学に過ぎないように見えてしまいます。
上記文献にあるように、「反復説はロマン主義の一部」と見なされていたなんていうエピソードがそうした事情を端的に示していると思います。
そして、そうした反復説をベースにしたドグラマグラの心理遺伝も、非常にロマンチックではありますが、ロマンに過ぎないということになるかと思います。
ホントかも・・と思わせるには少々説得力に欠けます。
夢野久作は不滅
もっとも数十年も昔の小説であればこんな綻びは大なり小なりあるものです。
今の分子生物学的には破綻している反復説も、いずれ実は正しかったと証明されるときが来るかもしれません。
注目すべきは、当時の最新であったであろう科学的知見をも積極的に取り入れようとした夢野久作の貪欲さです。
この作家、技術もセンスもピカイチだと思っていましたが、知識欲の旺盛さも半端なかったのではないでしょうか。
というわけで、読んだら必ず一度は精神に異常を来すというドグラ・マグラ。
時間に余裕のある方で、不思議な精神世界を旅してみたいという趣向があるのであればお勧めです。
リラックスして読んでいい、普通に面白い小説の一つだと思いました。
青空文庫で無料だし…
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