偽Perfume

しんどいときにあえて読む本!「ガレー船徒刑囚の回想」

11月頃、研究室所属直後の忙しさは和らいだものの精神的に一番参ってました。

「ザ・しんどい」だよね

もう、本当に思考停止状態。
講義で先生に当てられても何も言えない。

同級生と勉強の話をしていても全く内容が頭に入ってこない。

本を読んでも字面を追うだけで集中できない。

そんな状態でした。
それでも日々やらなければならない実験などがあって、ただただ流されるだけの、しかし極端なプレッシャーに晒されとにかくしんどかったです。

何とか自分を回復させようと僕は躍起になっていました。
あえてたっぷり睡眠してみたり・・でも寝たら寝たで無限に眠気はやってきました。

唯一の憩い・図書館

そんなときに、ふらっと訪れた図書館で出会った本があります。
なぜか図書館は心が安らぐ数少ない場所でした。

なんとなくサイエンスから離れた方がいい気がして人文系のコーナーを歩いていたときです。

僕の大学は理系の学校なので人文系の文献は非常に少なく、せいぜい岩波文庫と新書が書棚2つ分くらいに押し込められているくらいの蔵書しかないのですが・・

『ガレー船徒刑囚の回想』
というタイトルが目にとまりました。

ガレー船というのが左右にずらっと並べられたオールを漕いで動かす船であることは何となく知っていました。

この本を手に取り、表紙にある概略を読んで頭をガツンとされたくらいの衝撃を受けました。

あまりに貴重な記録

プロテスタントであるがゆえに17歳でガレー船に送られ、

そこで

12年間を過ごした一青年の回想録(1757)

服役中に半数以上が死亡するガレー船徒刑囚の過酷な状況を伝える・・

半数以上が死ぬ環境って…
マジでヤベぇ!!!

歴史物でありながらドキュメントらしいのです。

こういうのはとても珍しいと思います。
歴史物は文献を残せるのが社会的な地位の高い人間だけだったりするので、「一般人の記録」となると詩や歌くらいしか普通は残らないことが多いように思います。

近代になって印刷技術が発達したり個人主義みたいな発想が出てきたりして事情はだいぶ変わっていくと思いますが・・・
1757といえばフランス革命以前で絶対王政末期でしょう。ちょうど過渡期くらいな気がします。

魅力の文体

僕はその不思議な本のページをめくっていつの間にか読み始めていました。
冒頭、作者が今は平穏を手にしていること、過酷だった日々を記録としてとどめるためにこの本を書いているという主旨が説明され、すぐにシーンは迫害を受けて祖国を追われる場面へと移ります。

著者マルテーユはこの本以外になにも文献を残していないようですが、まっすぐで若々しくて何となく憎めない文体が面白いです。
そんなこともあって気がつけば、当時のフランスで逃げ回る人々に感情移入して作品世界にのめり込んでいました。

プロテスタントVSカトリック

フランスは統一国家形成のため少数派のプロテスタントを排除しようとしてたもののキリスト教国に違いはありません。
民族的な対立があるわけでもない。

だから迫害され故郷から逃げてゆくプロテスタントたちは一言、「棄教します」と宣言しさえすれば、迫害は受けないとカトリック達に言われます。

つまりそれでも逃げゆくということは、宗教的欺瞞をしたくないという高貴な精神を持った人たちだったと言えると思います。
実際、ウソをついて棄教したフリをした何人かのプロテスタントも描かれています。

そうした人たちをここで批難するほど僕はキリスト教にも宗教自体にも熱くはないですが、色々考えさせられる構造であることは確かでしょう。

さすがの個人主義?

さて、主義を捨てないというと格好いいですが、この絶対王政フランスでプロテスタントの主義を捨てないことは自殺行為に近かったようで、著者マルテーユは次々に悲惨な目に遭います。

面白いのは、自分の宗教を捨てることをかたくなに拒否するマルテーユは、自分の権利を主張することも決してあきらめないのです。

投獄されたり逮捕されるときに正当な手続きをとることを求めたり、恐ろしく居心地が悪く寿命を削るような土牢に押しこめられたら出してくれと懇願したり、空腹で死にそうなときはパンを求めたり。

単なるマゾヒスト、ニヒリストと強い信仰を持つ人間の違いがここにあると思いました。

迫真のルポ

この本のすばらしさは何と言っても極限状態に追い込まれた人間たちの様相が余すところなく描かれているところです。
まさに迫真のルポルタージュといってよく、文字通り手に汗握らずにいられないシーンがいくつもあります。

マルテーユのガレー船が嵐に巻き込まれて、船の制御がきかなくなって全員(奴隷以外の船員等含めて五〇〇人くらいいたようです)がパニックに陥った場面では、

このとき、全員が、難破は不可避であることを知った。皆それぞれ、泣き、呻き、祈っていた。

司祭は聖体を取り出し、告解に行く時間も機会もないので、真の痛悔を感じる人々に祝福と赦免を与えた。

このような大きい災厄の中にあって奇妙なことは、それぞれ罪を犯して服役しているこれらの不幸な囚人たちが、司令官や士官たちに、大きい声で次のようにいうのを聞くことだった。

「さあ、あたしたちゃあ、まもなく、みんな平等になりますよ。すぐに、同じコップから飲むことになるんですからね。」

あるいはマルセーユに護送されるために漁船の船倉奥の暗闇に押し込められたマルテーユ達が、船に食料が積み込まれていないことに気づくなんていう、かなりえげつないシーンもあります。
自分たちはこのまま海に沈められるのでは?という不安に駆られるのです(シチュエーション自体がかなり激烈ですが、本書ではこんな状況が次々に訪れます)。

その直後、船に水が入ってきているという言葉にパニックに陥る場面が示唆に富むので引用します。

「死ぬぜ。みんな。船に水が入ってきている。」

こうした悲鳴を聞いて、わたしたちはそれぞれ自分の最期の時が来たと考え、熱心に祈った。

しかしながら、七〇歳くらいの一人の老人がいて、かれは間近い死をわたしたちのように強くは信じていなかった。おそらく、もし、これほどまでにきびしい状態にいなかったなら、かれはわたしたちを笑わせたことであろう。

(中略)

かれはわたしの傍にいてごそごそするので、わたしは祈りを邪魔されて、なにをしているのかと訊ねた。

「できるだけ高い所へ背負い袋を掛けようと思ってね。水に濡れるといけないから。」

「自分の魂のことを考えなさいよ。おじいさん。溺れ死んだら、もう衣類はいりませんよ」

と、わたしはいった。

「残念。ほんとうにそうだね。」

かれはそういって、すぐに釘を探すのをやめた。この話は、われわれはみな一介の人間であり、いつもこの地上のことに執着していることをよく示している。

僕には人間の存在の虚しさよりも、愛しさを感じました。

ショック療法?

さて、僕の方は試験をいくつか乗り越え、徐々に実験にも慣れ、やらねばならないことは腐るほどあるし増える一方なのですが、何とか今一歩踏み出す気力は出てきました。

それがこの本のためか、単なる時間経過によるものか、あるいはPerfume効果(^-^;かは分かりません。

でもしんどいときにもスッと読めたという事実は確かです。
もしも切羽詰まってしんどくて、何か一時的な逃避をしたいのであれば、案外いいかもしれないです。

もちろん身体症状が出るくらいにやばかったらとっとと病院ですよ!
そこまでではない場合になら、お勧めできます。

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