こんなにも「悪」を排除しておいてホラーのフィールドで作品を発表する神経が到底理解出来ない・・・これは何かの実験なのでしょうか?!
恐怖を描かず恐怖をあぶる?
田村青蛙の『生き屏風』は、それくらいにどこまでも澄み渡る純然たる「いい話」でした。
残虐などんでん返しで全てをひっくり返し最悪の気分にさせられるに違いないとビクビクしていたというのに。
というか。
そういうのを期待してしまう、僕のような読者の心理こそが、ホラーだと、真の悪だと作者は言いたいのでしょうか?
こりゃ一本取られちまったね・・・って、んなわけないっすよね?
テーマは季節と生きる庶民の暮らし
妖怪という異世界のものを絡めつつも、物語は異世界感がほとんどしない、ちょっとの不思議感を漂わせるに留まっています。
それもそのはず、日本ではよく分からない事象を妖怪のせいにしてきたという文化がありますし、万物に神が宿るという思想もありますから、妖怪ごときが出て来たところでそんなに不自然には思えないものでしょう。
逆に妖怪よりも際立つのは、季節のうつろいに併せて微妙に変化していく、暮らしの色合いです。
突然の雨が降り出したり、暑さに体力を奪われたり、秋の実りに感謝したり。
桜を愛でてうまい酒を飲む、とか。
そういったものがメインとなっているように感じました。
ですから、ホラーもへったくれもあったもんじゃありません。
欠点はロジカルな攻めの欠如
この小説では割と丹念に登場人物たちの設定などを描いていて、ゆるーく絡み合う人物関係が見えていく面白さは多少あります。
が、正直物足りません。
あのときのアレは、あそこに繋がってたんだ!
みたいなやつを、小説家であるなら織り込んで欲しかったです(^ー^;
なんてことのないストーリーをそれだけで作品とするのは何か不満が残ります。
これならエッセイで良かったんじゃないかな・・・
別にエッセイが小説より劣っているとかそういうことが言いたいのではなく、このテーマならそっちのフィールドの方が向いてるのでは、っていうところです。