『メノン』での想起説の実例がどうみても思い出しているように見えない件。
プラトンはずるをしている気がした(^ー^;
平面図形の問題
前回その実例をまとめました。
問題:一辺が2の正方形の二倍の面積を持つ正方形の、一辺の長さはいくつか
(一辺が2の正方形の面積は4なので、面積が8となる正方形の一辺の長さ)仮説①:召使い「それは4」
仮説①の検証:ソクラテス(図示して)「一辺が4だとすると、正方形の面積は16」
召使い「ほんとだ。4ではないですね」仮説②:召使い「それは3」
仮説②の検証:ソクラテス(図示して)「一辺が3だとすると、正方形の面積は9」
召使い「ほんとだ。3ではないですね」仮説③:ソクラテス(対角線を図示して)「一辺が2の正方形のこのような線の長さだとどうか」
仮説③の検証:召使い「面積は8ですね、元の正方形の二倍の面積となっていて正しい。」
ソクラテス「これを対角線というんだよ」
これが学びではなく想起だとソクラテスは言い張り、最初は疑っていたメノンくんも確かに、と納得します。
が、僕はついていけません(^ー^;
そこで、分かりやすくするために別の問題に置き換えてみました。
かしゆかの髪
つまらない図形の問題ではなくて、愛しくてたまらないかしゆかの髪の色の問題としてみます。
問題:かしゆかの髪は何色か
この問題を、仮にメノンの正方形の問題的に問答形式にして解いたとするのなら。
問題:かしゆかの髪は何色か
仮説①:召使い「それは金」
仮説①の検証:ソクラテス(金髪のかしゆかをスケッチして)「随分明るい髪色だね」
召使い「ほんとだ。金ではないですね」仮説②:召使い「それは茶色」
仮説②の検証:ソクラテス(茶髪のかしゆかをスケッチして)「まだ幾分明るいね」
召使い「ほんとだ。茶色ではないですね」仮説③:ソクラテス(かしゆかをスケッチして髪色を塗りながら)「こんな風な色合いならどうか」
仮説③の検証:召使い「ちょうどよい色ですね、これが正解で間違いありません。」
ソクラテス「これを烏の濡れ羽色というんだよ」
この問題だと最初からかしゆかの髪の色を知らないと絶対にありえないやりとりであることが分かります。
そしてソクラテスとの問答により、おぼろげな記憶が鮮明になっていく過程であることがより明らかになった気がします。
これなら文句なしに「想起」の実例だと思えます。
なので構造が同じ正方形の問題も、やっぱり「想起」なのでしょう。
それは認めるとしても・・・
なんで正方形の問題には違和感があったのでしょうか。
楽園
正方形の問題は、正解を事前に知らなくても解けるし、解けたところで思い出したって感じはしませんでした。
一方、かしゆかの髪の問題は事前に正解を知らないと絶対に解けないし、解けたとしたらそれは思い出したってこと以外にはありえません。
この二つの問題の違いがどこにあるかと考えて思い当たったのは、正方形の問題は非現実の話で、かしゆかの髪は現実の話であるところです。
何が非現実で何が現実か、というのは難しい問題ではありますが、一つ面白いアイディアがあります。
Perfume『コンピューターシティ』に出てくる愛です。
ここには、計算で造られる世界は非現実で、計算では分からない思いこそ現実という対比があるように思います。
正方形は完璧な計算・論理で説明可能ですが、かしゆかの髪はそういった枠組みを超越しています。
ここに問題の性質の違いがあると思います。
プラトン、さりげに問題をすり替える
メノンくんは、最初から知っていない事柄について探求することなんて出来ないとソクラテスに言いました。
ソクラテスはそんなことはないと言って想起説を持ち出しました。
メノンくんはそもそも「徳」が教えることが可能なものかをソクラテスに質問して問答が始まっているので、メノンくんが想定したのは現実のことに関する問題と考えて間違いありません。
一方、それに対してソクラテスが返した想起説では、現実ではなく非現実の、数学の問題(正方形の面積と辺の長さの関係)が扱われました。
数学なら解ける、数学だから
数学であれば確かに最初から答えを知らなくても、論理的に考えることで答えが出せました。
数学は現実ではない空想のものですが、しかし好き勝手自由気ままな空想ではなく、そこには「完璧な計算」が背後に潜んでいて扱われる各事項は様々な関連の中に位置づけられているからです。
しかしそれは、あくまで数学の世界だからです。
現実の問題も数学みたいに理詰めで解けるのでしょうか?
置いてけぼりの理由
『メノン』で示されたのは、あくまでも幾何学・数学の問題なら、知らないことでもまるで思い出したかのように解けるということだけです。
現実の問題が同様に解けるかどうかは示されてません。
というか、日常的な感覚からいえば、数学と現実には少なからぬ対応関係は見いだされるものの、完全に同一視は出来ません。
つまり、メノンくんに対する反論としては不足している、中途半端なものだったと言えます。
この中途半端さが、想起説の実例を示しながらソクラテスがどやっ!ってしていた時に感じた「付いていけない、置いてけぼり感」の根源のようです。
もう一度コンピューターシティの歌詞に戻りますが、
完璧な計算で造られた楽園で
ひとつだけ うそじゃない 愛してる
「計算」ずくで説明可能な世界はあくまで仮想の「楽園」に過ぎません。
「うそじゃない」世界において、この「楽園」の能力が何を出来るというのか。
次回、プラトンが『メノン』で端折ってしまっている部分(^ー^;について考えてみます。
コンピューターシティ
Perfume
2006/01/11 ¥250