2014年の話題だったはずの『嫌われる勇気』を、2015年にもなって薦められました(^ー^;
それで再度確信、僕はアドラーを好きになれない。
2014年の感想
2014年に実は僕は一度『嫌われる勇気』を読んでいて、そのときレポを書いてます。
この著者は結局アドラーが二大巨頭(フロイトとユング)に並ぶことを示せていない
世界的にはフロイトとユングに並ぶとされるアドラー。
フロイトとユングは、歴史上外すことの出来ない学者であることは僕も分かっているつもりでしたが、アドラーがこの二人に並ぶということは結局わからずじまい。
僕としてはこの話題はそこで終わりにしたかったところ、こないだ忘年会で『嫌われる勇気』が話題になっていました。
アドラー再考
「世界は複雑なことなんてなくてシンプルなんだよっていう」
そんな風に評されていて、改めて『嫌われる勇気』の中身について考えてみることにしました。
というのも、僕には世界の複雑性は悩みの根源かどうかはさておき自明のことに思われたからです。
たとえば中村桂子さん企画の進化の系統樹を模したこんな絵があります。
京都にある生命史研究館というところに飾られている絵です。
生き物の多様性を示した面白い絵ですが、実際地球上の生命の多様性はこんなもんじゃありません。
ここに描かれているよりももっと多くの生き物が地球中に蠢いています。
あるいは、Perfumeがグローバルサイトで立ち上げた多言語翻訳企画のページなどにみられるような、いろいろな言語。
こういうのを見ていると、世界は複雑なんじゃないかなーと。
もちろん、多様であることと複雑であることは同じではありません。
生命は複雑に見えて、実は全て基礎となる化学物質としては共通していたり、言語にしても文法法則には共通性が見られる場合もあります。
でも、「シンプル」かっていうと・・・ちょっと違う気がします。
アドラーの「教え」
世界が複雑かシンプルか、ということに関して、実はどうとでも言うことが出来ます。
ある側面では複雑だし、別の側面ではシンプル。
総合的に見てどっちか、と言うことは出来なくはないけれども、そんなことにどれだけの意味があるのか。
いや、意味はある、というのがアドラーの考えなのだと思います。
何故かというと、シンプルだ、ということにしておけば悩まなくてすむからです。
どうとでもとれるのなら、都合の良いようにしておこう、それがアドラーの教えだと思います。
そう、教え。
「論」じゃないです。
宗教家とか、おばあちゃんとかが伝える類のもの。
考えるためではなく、考えないためのもの。
やっぱり、僕はアドラーは好きじゃない。
かしゆかのシンプル
ファンクラブ会報誌にて、かしゆかがこんなことを言っていました。
大切なことはシンプルなんじゃないかな
アドラー、かしゆかと別の時代に生まれたことを悔やむが良い。
かしゆかは世界の複雑性を否定しない奥ゆかしさと、そんな世界にあっても自己の関与しうる領域に対しては主体性を発揮しようという逞しさを併せ持っています。
ありがとうかしゆか(^ー^)
やっぱかしゆかはすっげえいいわー!!!