自分を知る・・・なんていう無理難題に挑むのに、こうすればOK!なんていう指南があれば取り付いてしまうのはしょうがないとはいえ・・・エニアグラムは受け入れがたいという話しです。
研修で人気?エニアグラムは茶番だと思うわけ
自己分析の手法として出てくるのがエニアグラムという考え方。
これは心理テストみたいな2択か3択のアンケート形式の質問を数十個こなして、その解答結果を使って自分の性質を9つの性質のどれかに分類してみるという茶番です。
いきなり茶番だなんて、言い過ぎかもしれませんが・・・
自分がどんな人間か?
この問いの答えを、誰かに用意してもらおうっていう精神が気にくわない(^ー^;
しかもアホくさい2択か3択のアンケートに答えることで、ていうところがなおさらイヤです。
時間に追われた生活を送らざるを得ない僕らの社会的病理を垣間見た気分になります。
この手の自己分析はあくまで便宜的なものであって、参考データとして受け止めればいい程度のもので、実際そんなマジメに受け止めている人もほとんどいないとは思いますが。
社会人向けの研修なんかで大人気みたいで、気付けば僕もいつの間にかやっていました。
結果は全く覚えていませんが(^ー^;
自分がどんな性質を持っているかを、自分の言葉で答えにするのは一筋縄でいかないでしょうし、客観的にとらえがたい問題です。
なので簡単に出来たつもりにさせるエニアグラムが広く出回るのは無理もないことかと思います。
サイヤ人の血
でも僕は、自分のことは自分で決めたいと思っちゃいます。
なんていうか、エニアグラムとか心理テストとかやらされると、無理矢理信じ込まされる感じがして反発してしまうのです。
自分の中に無理矢理入ってこられるような感じがして、それではじき返してしまうみたいな。
この感じ、ずばり言い当ててくれてるのがドラゴンボールの一幕にありました。
合体した悟空とベジータが、魔神ブウの体内に入って分裂して元通りになるシーンです。
で、ベジータが悟空に「合体なんて二度とごめんだ」と言います。
たぶん、エニアグラムを信じて自分がどんなか分かったつもりになったら色々ラクなんだと思います。
でもそれって、あくまで思い込みであってもはや元の自分ではないと思っちゃって、もしも分裂して元に戻れたら「合体なんて二度とごめんだ」ってなりそうな気がします。
『ドラゴンボール』の最終巻では、再び合体すれば楽勝という最終決戦の難敵に対して、サイヤ人である悟空(カカロット)は合体を拒絶して自分ひとりの力だけで戦いたいと言います。
そして同じくサイヤ人であるベジータは、悟空のこの判断に同意して高らかに言い放ちます。
格好いい(^ー^)って思います。
この頑固で柔軟性のない、でも力強く自信に満ちた哲学の方が僕は欲しい(^ー^)
そうはいっても的問題への対処
そこで僕が現在とっている自己分析の手法が、自分で考えたやり方で自分を見つめ直すというものです。
実際は紙に色々書いてみるという、どっかのビジネス書にも書いてありそうなありふれたやり方ですけど(^ー^;
適宜自分でやり方を模索して色々やってみてます。
メモとかノートとかの文具類が結構好きなんで、そういうところも工夫してみたりしてます。
サイヤ人的やり方は孤独になりがちです。
ベジータは自分の限界を超えるために、荒野にひたすら立ち尽くすということをしていました。
ベジータくらい連戦に次ぐ連戦だった戦士なら、これでもいいのでしょうけど、僕はあまりに社会を知らなさすぎて、こういう完全に孤立して思考にこもったりしていたらかえって危険です。
自分だけで殻にこもってしまうとリスクとか現実とか見えなくなってしまいます。
なので、あくまで自分で納得するまで自分で考えるというスタンスは維持しつつ、他人の意見や協力も必要です。
僕には養う家族もいることですし、冒険はしてられません。
でもだからこそ、着実に地道な道を歩んでいきたいと思っています。
その一歩が、自分が何かは自分で考えるということだと思いました。