偽Perfume

「電気羊」のフォークト=カンプフ法が江戸時代の日本で既に採用されていた件

(藤崎竜のマンガ封神演義より)

小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るのか」で、人間とアンドロイドを区別する方法として警察が用いていた「フォークト=カンプフ法」。

これが、なんと江戸時代の日本で既に用いられていたから驚きです・・・使っていたのは大名・井上政重、筑後守です。

傑作・電気羊

アンドロイドが精巧になりすぎて、見た目や会話などでは人間と区別が付かなくなるというのが「電気羊」で描かれる未来世界です。

最新型アンドロイドはあまりに良くできているので、本人が自分をアンドロイドと認識していない場合もあったりして・・・ただ、あまりネタバレはしたくないので深入りはしません。

お、この小説は面白そうだな、と思ったあなたは即座に読むべきです(^ー^)

特にPerfumeファンにとっては、近未来三部作の世界観を読み解くヒントになるので必読です。

さて、この小説の主人公リックは逃亡したアンドロイドを狩る賞金稼ぎで、その際に重要なのが、相手が果たして本当にアンドロイドで、人間ではないということの証明です。

そこでリックが使っていたのが、フォークト=カンプフ法という手法です。
他にもボネリ反射弧テストなどいくつか手法があるのですが、リックの属する組織ではフォークト=カンプフ法が確立した手技とされています。

フォークト=カンプフ法

フォークト=カンプフ法は正式には「フォークト=カンプフ感情移入度検査法」といいます。

開発したのはソ連のパヴロフ研究所で、どれだけ知的能力に恵まれているアンドロイドであっても、この検査にはパスできません。

やり方は顔に電極のついたパッチを接続し、顔面毛細血管の拡張度を測定するのが一つ。

もう一つはペンシルビームの光源による眼筋の緊張度変化の測定です。

アンドロイドにも人間と同じような解剖学的構造はあり、生化学的には人間と同様の反応を示す可能性はあります。

ですがアンドロイドは人間と異なり、感情移入することがないとされています。

そこで、フォークト=カンプフ法ではいくつかの道徳的なシチュエーションを持った質問を行い、それに対する回答を求め、そのとき検出される上記2種の反射の度合いと、速度を測定します。

感情移入を起こさないアンドロイドは、人間が即座に反射してしまうような反応を示せません。

主人公リックはこの手法と仕事で培ってきたある種の勘も駆使して、人間ぽいアンドロイドをアンドロイドと見抜きます。

装置が必要だったり、質問に答えてもらうという相手の協力も必要となるために、迅速さに欠ける面倒な試験です。

ただ、アンドロイド確定のために必要とされる骨髄の検査に比べれば遥かに簡便かつスピーディに出来る検査なので、頻用される手法となっていました。

筑後守・井上政重

このフォークト=カンプフ法は未来で開発された試験法です。

けれども、我が国日本においては、これと同様の手法がなんと江戸時代初期に既に開発されていたから驚きです。

と、言ってもこっちも小説世界での話なのです(^ー^;

作品は、遠藤周作の「沈黙」です。

これは漱石の「こころ」や鷗外の「阿部一族」と並んで必読の小説として国語の先生なんかに勧められる類の本かと思います。

拷問を扱った小説ですので、ある程度の覚悟無しには読めないものです。

が、日本を考える上でも人生を考える上でも一生ものの読書体験となることは確実の、必読の薦めに疑いない作品でしょう。

歴史上の事実と創作が融合した小説です。

登場人物の井上筑後守がどれだけ実際の井上政重なのかは分からないと断った上で、彼が編み出した隠れ切支丹のあぶり出し法はフォークト=カンプフ法の簡易型といって良いようなものでした。

踏み絵を踏むキリスト教徒

江戸時代初期はキリスト教の弾圧真っ最中でした。

キリスト教徒かどうかの判定に使われていたのは、みんなよく知っている踏み絵です。

Virgin Mary tile to step on.jpg
Virgin Mary tile to step on” by Chris 73 / Wikimedia Commons. Licensed under CC 表示-継承 3.0 via ウィキメディア・コモンズ.

キリスト教徒だとバレたら虐殺されてしまうので、こんなの踏んでしまえばいいじゃないかと現代の感覚でネタにされることもある踏み絵です。

ただ、僕はTumblerか何かで見たのですが、現代人であっても、たとえば「炊きたてのご飯」や「おすし」を踏めるかと言われたら、何のためらいもなく踏むことは難しいと思うのです。

なので、同じ「踏む」という行為であっても、恐らくキリスト教徒とそれ以外では反応は違ったはずです。

そして、井上政重はその違いに気付いていたようです。
彼は、踏み絵を踏むかどうかだけではなく、そのときの挙動に注目すべきだと分かっていました。

 彼等は三人が踏んだという結果よりその時の顔色をじっと窺っていたのです。
「お前らは、それでお上をだましたつもりか」と役人のうちの年とった者が申しました。(中略)「ただ今、お前らの息づかいが荒くなったのを見逃しておらぬぞ」
(『沈黙』より引用)

これって、要するにフォークト=カンプフ法を装置を用いないでやっている感じですよね?(^ー^;

人間の生理的反応から心の反応を探るっていう。

もっとも、人間とアンドロイドを区別するのではなく、キリスト教徒とそれ以外を区別するという違いはありますけど・・・

江戸時代からこんな未来にも使えるような手法を考えていた日本ならば、フォークト=カンプフ法で検出出来ないアンドロイドだって開発しちゃうかもしれませんね(^ー^)

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