電車の広告でコエーリョの「アルケミスト」を推す芸能人かだれかのレビューを見ました。
念願の?
高校生のときにも誰かに勧められた記憶があります。
でも読まずじまいになっていて、Kindleを手に入れた今こそ読んでみようと思いました。
サンプルをダウンロードして読んでみたところ、羊飼いの少年が出てきてドラクエっぽくて舞台も地中海沿岸、しかも僕の好きな冒険ものらしくてとても興奮しました。
アルケミスト 夢を旅した少年 (角川文庫) [Kindle版](ざまあみやがれの生リンク)
で、すぐに購入して読んでみたのですが、3-4割行く前に読むのをやめました。
僕はこういうの苦手です(^-^;
これは手抜きではないのか
一度や二度ならいいのですが、前兆という言葉が何度も出てきます。
運命の導きみたいなものを出すのは別に構いませんが、それを乱発するのって小説家としては手抜きだと僕は思うのです。
永井荷風か坂口安吾か忘れましたが、小説家は小説を書くときになんでもかんでも好き勝手に書けるわけではないと言っていました。
そんじょそこらの読者よりも遥かに厳しい目でジャッジを下す第二の自分が居て、小説の世界に間違いはないか、不自然さはないかを細かく審査するそうです。
そうやって齟齬のない物語を構築していくものだという話を、それこそ高校生くらいの時に読んでいたく感動したものです。
完全にファンタジーの世界といっていいラブクラフトの小説であっても、そのような「厳しい審判」の目にさらした上で世に出していることは十分うかがえます。
ひるがえって、運命とか前兆とかで話を片付けてしまうのは、この厳しい審査をセコい手で逃れているだけにしか僕には見えないのです。
最終的にあれは運命だったとか、あれは前兆だったかも、と匂わすくらいにとどめておくべきではないでしょうか。
あれは前兆これも前兆それも前兆、なんでも物事には前兆がありますってことになってくると、どうなんだろうと思ってしまいます。
大学時代に「聖なる予言」という本を強く薦められて読みましたが、これも何でもかんでも前兆で説明するもので小説としてはかなり手抜きなものに見えてしまいました。
少年ぽくない少年
前兆の乱発以外にも、共感を妨げる邪魔な文言が散見されました。
主人公の羊飼いの少年がちょっと胡散臭いのです。
少年は、直感とは、魂が急に宇宙の生命の流れに侵入することだと理解し始めた。
そこでは、すべての人の歴史がつながっていて、すべてのことがわかってしまう。
そこにすべてが書かれているからだ。
この場合は「直感」じゃなく「直観」じゃないかなぁ、なんてツッコミはさておき、誰に言われることなくこんなこと考え出すなんてだいぶ不自然な気がしました。
何かしらの大人の意図を背後に感じちゃうのです。
他にも、見知らぬ街で商売をして成功を収めたときの少年の内面がまた胡散臭い。
この場所を征服したように、少年は世界を征服できるように感じた。
原文見てませんが、征服ってふさわしくない表現だと思います。
意識高い人が早朝ランニングしたときの感想みたいなことを、元羊飼いの少年に言わせるなんて、やっぱりこの作家は手を抜いてるように思われます。
ビジネス書愛好家向け?
調べてみると、アルケミストはビジネス書として愛されている節があるようです。
なので僕みたいにビジネス書とか自己啓発系を読む暇があれば小説を読みたいっていう人間には、アルケミストはたぶん不向きだと思われます。
舞台設定とイントロはすごく良かったのに、非常に残念です。
とはいえせっかく買ったので最後まで読もうかと迷っていたとき、たまたま「玩具修理者」という小説のタイトルがKindleストアで目に入りました。
ネフェルピトーのきゃわいい顔(ピクシブ百科事典:ネフェルピトー参照)が思い浮かんだ僕は、すかさずアルケミストを読むのを止めることにして「玩具修理者」のサンプルをダウンロード。
というわけで次回、アルケミストを押しのけた「玩具修理者」のレビューです(^-^)
余談
今読んでいる小説、「HHhH」(もんのすごく衝撃的に面白い!)では、逆に慎重過ぎるくらいに記述1つ1つに細心の注意を払って迷いながら言葉を選んでいく過程そのものが描かれています。
アルケミストと真逆の姿勢です(^-^;
これはこれで若干まどろっこしくもあったので、アルケミストの何でもかんでも断定できるものとして進行する物語というのは、小説としては手抜きだとしても読む人にはフレンドリーというか、分かりやすいのかもしれません。
まあ、いずれにしろ再読するつもりは毛頭ありませんけど(^-^;