渋谷駅構内の柱にデジタル広告が出ていて、その中にある初音ミクの「台詞」が一言余計!あとはカッコいいのに!
ソフトウェアに徹せられず
これはレッドブルミュージックアカデミーの宣伝?だか何かのようです。
他にもサカナクションの人の肖像とコメントも表示されていました。
初音ミクは電波の悪い通信機器で交信しているかのようなノイズまじりの白黒イラストで、ちょっとカッコいいテイストです。
原画です。全部鉛筆(515×728cm) Red Bull Music Academy Tokyo 2014 イベントは10/12(日)〜1ヶ月 http://t.co/FvcmgLoJFZ #渋谷#KYOTARO#初音ミク pic.twitter.com/tStnrRypyc
— KYOTARO (@KYOTAROKYOTARO) 2014, 10月 1
ところが台詞がクサい。
一言余計なせいです。
気まぐれに作った歌も、
魂を込めて作り込んだ歌も、
私の中を通り過ぎるデータは
すべてが等しく愛しい。
いらんのは、「愛しい」です。これさえなければ格好良かったのに。
無駄に媚びを売ってる感が、クールなイラストに合わなさすぎるのです。
オタク向け愛がんキャラからの脱皮
今回の広告のコンセプトがどこにあるのかいまいち理解しきっていないのですが、この台詞は異様に頭のなかで引っかかりました。
初音ミクはデータを再現するのだけが役割なのですから、「すべてが等しい」と言い切るだけで良かったし、それはおもしろい指摘になったと思います。
自分は通り過ぎるデータを媒介する一メディアに過ぎない、それを通して得られる感動は受けてがクリエイトしているもの。的なことでしょう。
でもミクがそれを「愛しい」なんて価値判断しちゃうと考えるのは越権行為というか、この台詞を考えた人の勝手な思い込みに過ぎません。
思い込みっていうか、あの子にそう言われたら、愛好者は喜ぶだろうみたいな下心が透けて見えて感心できません。
そもそものきわどい太ももの見せ方とか愛くるしい顔つきとか、愛してもらえるように仕組まれた存在に違いないのでしょうけど、機能の独創性によって凡百の萌えキャラの地位を飛び越えようとしているミクの足を引っ張る行為だと思います。
なので、僕は勝手に変換して見させてもらっています。
気まぐれに作ろうと
魂を込めようと
私に取り込まれた歌は、
すべてデータの集合として等価
これくらい冷たくていいと思います!
あと、動画版にある「初音ミク曰く」もクサいから不要と思います。
ノイズ混じりにイラストのミクを表示させたりしてイラストに準拠させた方がいいのではないでしょうか。