今やほとんど見ることのなくなった、カセットテープと再生デッキ。
恐らくは、『死神』のイントロではカセットテープが再生されています。
ガチャって音の後にノイズ混じりのピアノと喋り声が流れていって、ざわめく人混みのような声が混入。
高まる音響のピークで、最後には「死んで」。
何だこの不吉なテープは…(^-^;
まるで呪いのビデオのような、戦慄のプロローグ。
いよいよ2018年音楽ランキングはトップ3へと突入します。
3位は大森靖子『死神』。
これの何がすごいかを一言で言うのなら、それは”超展開”にあります。
死神大森靖子
2018/06/11 ¥250
どれだけ超絶な展開かというと、それはかの漫画版『デビルマン』を彷彿とさせるほど。
絵も構成もクソなくせに、心臓鷲掴みにして唖然とさせる『デビルマン』の真髄は超展開にあると僕は考えています。
のんきな学園モノな空気で始まりながら、人類を守るために悪魔と戦う戦士のヒーロー物へとなだれ込み、勧善懲悪にとどまらず人間の深い部分に潜む黒さを暴いたかと思うと今度は数千万〜数億年単位に及ぶ神々の攻防へと展開していく…
ラブクラフトみたいな前例があるものの、あの展開力は神がかっていました。まさに神秘。
『死神』はデビルマンに匹敵する、というか、デビルマンをなぞっているようなフシもあります。
「サタンは天使のようにうつくしいそうだな」
永井豪『デビルマン』
「ええ サタンは堕天使です
神に反逆し天国を追われたそうです
天国を追われたサタンは悪魔を部下にして神と戦争をしたのです
サタンはその戦争にやぶれました」
「そうか・・・
サタンは天使か・・・
デーモンではなく・・・」
天使になろうとした女の子が死神と化す、というのが『死神』で行われる超展開ですが、デビルマンの背景にある堕天使サタンの悲哀と重なる部分が少なからずあります。
そしてこの悲哀は、人類を守るために悪魔界の勇者アモンと融合した「デビルマン」不動明ともシンクロします。
「おれはからだは悪魔になった・・・だが
永井豪『デビルマン』
人間の心をうしなわなかった!
きさまらは人間のからだをもちながら悪魔に!
悪魔になったんだぞ!
これが!
これが!
おれが身をすててまもろうとした人間の正体か!
地獄へおちろ
人間ども!」
愛が裏切られることで憎しみが生まれ、殺戮へ…
しかも、対象は個人ではなく人類全体。
冷戦下で核戦争の気配や世界の滅亡の可能性があった時期の『デビルマン』と異なり、『死神』では世界が滅亡したかどうかはよくわかりません。
破滅を描くより前に、死神が死神になりきれずに涙を流しているかのような光景が描かれます。
天使になりたかった女の子(というか、大森靖子本人)だったときの記憶のせいでしょうか?
こんな死神は破滅するしかないと思われますが、曲は意外なほど穏やかに、むしろ清々しさすら漂わせ終わります。
時計じかけの神が現れて物語を収束させるわけでもなく、おそらくは命がうごめくということの体感が、天使にも死神にもなれない表現者大森靖子の希望となったのではないか、と僕は思いました。
ところで、「君の君」というちょっとややこしい表現があります。
一番目の「君」は単に目の前にいる「お前」くらいの意味で、二番目の「君」というのは、その「お前」にとっての大切な人のことを意味していると思います。
二人称というのは向き合っている人という意味だと思いますが、三人称と比較したときに親密さというか距離の近さがあります。
状況としては、死神を前に逃げ惑う人がいて、死神はその人の右腕を切り落としました。
切り落とされたら、もはやその腕は動かないはずなのです。
でも、その腕は、まるで持ち主の意志を反映しているかのように、腕を切り落とされた人が守ろうとした「君の君」を探すかのように指先を伸ばして居た。
アダムの創造の指みたいに。
こんなふうに、死神は、天使になりたいと思っていたときよりも、よりリアルな「命」や「愛」を目撃し、体感することになったのではないか、と僕には思われます。
「天使にはなりたくてもなれない、でも死神も無理そう」という確認は、表現者をやっていくなかで大森靖子には必要なプロセスだったのかもしれません。
炎上したこともあるそうですし、いろいろとクソみたいに嫌な思いもしているみたいですから、「お望み通り死神になって全部ぶっ壊してやる」と思うことも少なからずあるはずです。
そんな恨みつらみも絶対に入っているはずの『死神』で、死神になりきれなかったという人間性は非常に魅力的です。
この場合は死神になりきったほうがラクだったはずだからです。
一番困難な道を喜んで受け入れようとしているような『死神』。
狂おしいほどに、最高。