去年、講読している医療系メルマガで江戸時代の医者華岡青洲の生誕250周年を祝うような記事をいくつか見ました。
小説で親しむ華岡青洲
それで、ずっと華岡青洲に興味を持ってました。
医学部や医療系学部だと教養で扱うのでしょうか?
彼は世界初の全身麻酔による治療を行った医者として名を残しているそうです。
大事なことなのでもう一度言いますが、彼は世界で初めて、全身麻酔を成功させたのです。
日本で初めてじゃなくて、世界で初めてですよ?!
とてつもなくすごいことじゃないっすか?!!!
久々に自分が日本人であることを誇らしく思った瞬間です。
さて、『華岡青洲の妻』は有吉佐和子による小説です。
タイトルにあるようにメインは妻であり、もっというと嫁VS姑の激しい争いです。
核家族化が進んだ現代ではちょっと古さも感じるテーマですが、結構読み応えがありました。
見所はやっぱり…
でもやっぱり、いちばんおもしろかったのは華岡青洲が全身麻酔薬の通仙散を開発し、それを臨床で使う経緯です(^-^)
これはさながら映画ロッキーみたいなヒーローモノの色合いがとても強いと感じました。
青洲は医者の父と資産家の母の間に生まれました。
父を次いで医者となるべく京都で勉強に励み、いつしか中国の伝説的名医、華蛇に憧れるようになったとか。
華蛇は三国時代に全身麻酔で外科手術をしたそうです。
でもそれはあくまで言い伝えであって、麻酔薬のレシピやオペの記録は残っていません。
ドラッグストアで働いていると、何人か伝説の名医の名前を知ることになります。
華蛇もその一人。
その名前は水虫薬の華蛇膏に残ってる程度ですが(^-^;
華蛇に憧れて医者になった青洲は修行を終えて無事故郷の紀伊に帰ってきました。
待ちわびていた家族たちに当時最先端のヨーロッパ式外科用具や技術について話しつつ、全身麻酔の必要性を痛感していることを表明します。
世界最先端を一人で開拓
年代で言うと1800年とちょっとです。
その頃世界では全身麻酔に成功したデータ付きの記録は皆無です。
江戸は鎖国していましたので閉じた世界だったかもしれませんが、青洲が立ち向かった全身麻酔の完成はまさに世界の最先端をいくテーマでした。
華岡家には薬用植物園があって、そこにはチョウセンアサガオがあったそうです。
青洲は実家で診療を開始して、関西仕込みの最新医療がウケて近隣で結構名を上げて行きます。
そして動物実験を行いつつ、精力的に全身麻酔の完成に向けて研究に励みます。
でも臨床的に応用する前にどうしても躓きます。
彼が開発していた全身麻酔薬に関して、人間でのデータが全く無かったのです。
どれくらいの量でどのような効果が得られるのか、動物実験のデータをどう人間に適用すればよいのか分からないのです。
人体実験の申し出
そこで、彼の身近な人物二人が実験台になりたいと申し出ます。
それが青洲の母・於継、そして妻の加恵でした。
彼女たちは、医学の進歩に貢献したいとか、全身麻酔しないと治療できない多くの人びとを救いたいとかいった高尚な精神に基づいて名乗り出たわけではないようです‥少なくとも小説の上では。
彼女たちは、青洲を巡って激しい嫁姑の争いをしており、その駆け引きとして人体実験に立候補したということです。
小説としてはここらへんがハイライトだと思いますが、本レビューでは深入りしません(^-^;
於継は高齢だったので、青洲はデータとして有用でないと判断したのか当たり障りの無い実験に協力してもらい、若い妻に本格的な試験を行いました。
結果、妻の加恵は失明してしまいます(これはネタバレというか歴史的事実です)。
そのときの加恵が、切なくて印象的ですのでちょっと引用してみます。
「どないしたんや、加恵」
「はい。すんません」
「具合を云え。詳しゅう云うて欲しいんや」
「目が」
「なんやて」
「痛みます。頭の芯まで、ずきんずきんというて、のし」
加恵は武家の娘で人一倍我慢しがちであったことが小説内で語られます。
そんな彼女が痛みを訴える姿は悲愴です。
簡潔なやりとりですが、息を飲むシーンです。
武家の誇り
加恵は武家の娘として育てられたとき、特殊な「結び方」を伝授されました。
それは、武家の誇りを守るために必要な技術で「何があってもほどけない」ものでした。
全身麻酔を受けている間、於継に悪さをされないように加恵は自分にその結びを施しました。
実験が終わったとき、青洲はその結び方の素晴らしさに感動してます。
「ところで加恵、お前の紐の結び方は誰に習うたんよ」
青洲は帳面に書込みを終ると寛いだのか話題を変えた。その言葉で加恵は夫が加恵の脚を縛った紐を見たのを知り、予期はしていたが仄かに恥じらいを覚えた。
「無理して答えいでもええで。頭に響くといかんよってにの」
「いえ、大丈夫ですよし」
小さな声で加恵は云った。
「お祖母さんから、武家の女のたしなみやというて習うたものでございますよし」
「なんという結び方よ」
「さあ、それは聞きませなんだよし。ただ動けばいよいよ締まることはあっても決して解けることはないと教わりましたよし」
「うむ。やってみようかい」
(中略)
「お母はん、これはなんでもないことのようやけど、智恵のある結び方やで。カスパル流にも、これはないんですわ。止血にも早手間で役に立つ。さすがに武家の女は、よう考えたものよのう」
武家の伝統が医学に役立つというのは面白いです。
出でよ通仙散
妻の献身的自己犠牲により完成した全身麻酔薬「通仙散」。
これを遂に実際の患者に使おうとするシーンが結構カッコいい。
「今日は乳岩の患者がきたのや」
「まあ、それは」
「気丈な婆でのう。危険があっても儂の手術を受けて死ぬのならええと、向うの方が熱心なのや。儂も初めてのことやから慎重の上にも慎重を期したいと思うて、手術にかかる先に脚気を直すように薬を調合した。しかし十中八九、儂には自信があるんや。いよいよ時節到来やと、儂はそれを加恵に告げようと思うてここに来たんや」
「通仙散を使いなさるでございますかのし」
「そうよ。儂はきっと乳岩を直してみせる」
「岩」という感じを当てていますが、これは今で言う癌のことです。
そして青洲にとって乳がんは身内を奪った病気であり、その患者を救うことは人生と医師としての誇りを賭けたリベンジなのです。
ついに完成した秘儀を披露する‥なんてそれこそ少年マンガの盛り上がり場面に欠かせませんよね!
さて、青洲は見事全身麻酔第一号患者の治療を成功させます。
小説にはその様子が漢文調の資料の引用で語られていますが、結構感動します。
何しろ魔法みたいなものでしょう、当時のひとびとにとっては(今でも魔法みたいですけど)。
全く何の痛みも感覚もないままに、気がつけば自分を苦しめていた病変が消え去っているのです。
全身麻酔成功のニュースは日本中を駆け巡ったようで、全国から患者と弟子志願の医師たちが殺到してきたそうです。
青洲の実家近辺は宿が出来たり食堂が出来たりと大いに発展して栄えたそうです。
今も輝く功績
通仙散は今では使われていませんし、今使われている麻酔薬との関連も薄いです。
しかし、全身麻酔という技術そのものは今でも医学に欠かせないものです。
ですから世界最初の全身麻酔を成功させた青洲の業績は今も燦然と輝いてみえます。
そんなわけで、嫁姑争いに眉をひそめてしまうあなたも、是非ヒーローモノとして読んでみてください。
素晴らしい英雄、華岡青洲の伝記として・・!!!