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プラトンが『メノン』で提示した”想起”を考える⑤普遍

躓いたらPerfumeを聴け、そうしたら大体道は開けるというお話(^ー^)

立ちはだかる壁

前回、問題を「現実に関するもの」と「非現実に関するもの」とにわけることにより、メノンくんに対するソクラテスの反論のうやむや感の原因を明らかにしました。

メノンくんは「現実に関する問題(徳は教えられるか)」を想定して、事前に正解を知らずに答えを導き出し、それが正しいと判断できるかどうかソクラテスに聞きました。

しかし、ソクラテスは「非現実に関する問題(正方形の面積と一辺の長さの関係)」をもってして、事前に正解を知らなくても問題は解けることの実例としていました。

僕はここで、さりげなく問題がすり替えられているように感じました。

  • メノンくんが聞いているのは、「現実」の問題を、答えを知らずに解けるか
  • ソクラテスが明らかにしたのは、「非現実」の問題を、答えを知らずに解けること

そこで本当なら『メノン』でソクラテスは想起説の実例を示すとともに、

  • 非現実(数学)の問題も現実の問題も本質的には同じようなもの

であることを証明しなければならないように思います。

少なくとも僕には、これは自明のことには思えません。

だがしかし。

『シティ』を読み解く

物事をなんでもかんでも現実と非現実にわける僕のやり方は、決して頭のいいやり方ではありません。

というのも。

完璧な計算で造られた楽園で
ひとつだけうそじゃない愛してる

Perfume『コンピューターシティ』

ここで、「完璧な計算」というのが、非現実、仮想的なものであり、
ひとつだけうそじゃない、と強調されている「愛してる」が現実を象徴していると僕は考えて現実と非現実という区分を『メノン』に持ち込んだのですが。

  • 現実←→非現実

もっとちゃんと『コンピューターシティ』を読み込めば、確かに実在しているのは仮想的な「楽園」の方で、「愛してる」の方は何度も何度も実在を疑われます。

どうして ねぇコンピューター こんなに苦しいの
あーどうして おかしいの コンピューターシティ

絶対故障だ てゆうかありえない
僕が君の言葉で悩むはずはない

『シティ』では現実と非現実がひっくり返ったり境界が曖昧だったりしているので、あんまりこの二分法にこだわっていると混乱します。

そこで、もっとうまく、『シティ』における対比を際立たせる対立概念を導き出した方が、『メノン』の議論もすっきりするに違いありません。

そこでフォーカスしたいのは、何と言っても『シティ』のキモであるキーワード。

愛してる

『シティ』の「愛してる」は、「僕」と「君」の間で成り立っている、極めて個人的なものです。

そこで、現実と非現実に代わる対立軸として、一方に「個人的」を置いてみます。

  • 個人的←→???

すると、『シティ』で「愛してる」に対立するのは「完璧な計算」で、これは「普遍」を体現しているといえます。
普遍という言葉は哲学上専門的に意味を与えられていた気がしますが、ここでは極簡単に現代文レベルで「いつでもどこでも成り立つ」を意味するものとします。

  • 個人的←→普遍

ここで、一方に「個人的」を置いてもう一方に「普遍」を置くのなら、それこそ現代文的に考えて「個人的」よりは「特殊」を対置させた方がしっくりきます。
「特殊」という言葉も、現代文的に「他にはあてはまらない」を意味するものとして使います。

  • 特殊←→普遍

この対立軸をもって『シティ』を単純化すると、「普遍」だけの支配する楽園に生まれた「特殊」の物語なんて風になるでしょう。

この枠組みで、もう一度『メノン』を見直してみるとあら不思議。

『メノン』の欠陥が欠陥でなくなる

ソクラテスが想起の実例として出した、数学はまさに「普遍」の権化みたいなものです。

一方、個人的な恋愛感情が「特殊」の典型例であるように、かしゆかの髪の色というのも「特殊」です。

では、メノンくんが気になっていた徳の問題はどっちでしょうか?

徳なんてものは、時代や地域によって変質しそうですから「特殊」に属する問題のようにも考えられると思いますが・・・

『メノン』では、徳を「普遍」の問題として捉えようとする方向性があります。

岩波版の表紙に書いてある紹介文には、以下のような記述があります。

「徳は教えられうるか」というメノンの問いは、ソクラテスによって、その前に把握されるべき「徳とはそもそも何であるか」という問いに置きかえられ、「徳」の定義への試みがはじまる。

そもそも何であるか、というところに普遍への志向が表明されていると思います。

また本文からも一箇所、引用してみます。

いまこの現在においても、将来においても、やはり正しい所論と思われるのでなければならないだろう。

やはり普遍を志向しているのは間違いなさそうです。

普遍的な「徳」の定義が分からないことには話は進まないという前提があるようです。

となると、想起の実例が同じく普遍を志向する数学であったことは全く問題ないことになります。

メノンくんが気になっていた問題も結局は「普遍」に関する問題だとするなら、以下の図式が成り立つからです。

  • メノンくんが聞いているのは、「普遍」の問題を、答えを知らずに解けるか
  • ソクラテスが明らかにしたのは、「普遍」の問題を、答えを知らずに解けること

乗り越えるべき壁は、そもそも存在していなかったということのようです。

知識獲得のプロセス

ようやく想起説の実例が実例たり得ている理由が分かりました。

そこで、次回は具体的に想起説の中身に迫ってみたいと思います。

想起するって、結局何を想起するのか?

人間が知識を獲得する際に、想起はどのような役割を担うのか?

『メノン』の想起説の核心がいよいよ見えてきました。

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