『Origin of Symmetry』(調和の起源)というタイトルでいろんなアーティストが絵を描いて、その中で一番のものをメンバーが選んでジャケにした。それが、この絵。
ヘリネルド・マルケス大佐
雨の日の午後。
ヘリネルド・マルケス大佐は市に昇格したマコンドで、アウレリャノ・ブエンディア大佐から電信を受けて戦況に関する連絡をやりとりしました。
ヘリネルド・マルケス大佐は、人影のない表通りやアーモンドの葉にたまった雨水を眺めているうちに、深い孤独感に襲われました。
「アウレリャノ」と、彼はやるせない気持を送信機に託した。「マコンド・イマ・アメ」
電線を長い沈黙が流れた。そして不意に、電信機がアウレリャノ・ブエンディア大佐の送る非常な記号ではねあがった。
「バカ・イウナ・ヘリネルド」と信号は伝えた。「ハチガツ・アメ・アタリマエ」
ロマネスコ構造
最近めちゃくちゃハマってる小説『百年の孤独』からの引用です。
僕はこの小説を、エンターテインメント性の非常に高い読み物としてここまで読んできていて、タイトルにある『孤独』の意味がよく分かっていませんでした。
むしろ、笑いながら読んできていました。
それにしても、ここで引用した箇所に漂う孤独感ときたら。
MUSEのあのジャケとともに、一曲目『New Born』が流れてくるくらい。
New Born
ミューズ
2001/06/05 ¥250
この小説の不思議なところは、大きなテーマに沿って物語が進むというのではなくて、細分化された個々のエピソードが何の繋がりもなさそうに次々に提示されていくというところ。
ドキュメントに近い間隔ですが、そこまでリアリティは追求されていなくてファンタジーな非現実感もエッセンスとしてスパイスされています。
それでは話しとしてバラバラで統一感のないアラカルト状態かというと、案外そうでもありません。
この小説は、ロマネスコ構造をしていると思います。
細部を拡大していくと全体の相似形が無限に出てくるフラクタル構造です。
『百年の孤独』は、個々のエピソードに「孤独」がちょいちょい顔を見せます。
一個一個は別に「百年の」なんて修飾をするほどのものでもあるまい、と思って読んでいました。
が、この小説は一つの時代を描いていて、舞台となる共同体を構成する個人がただの個人に止まらないで歴史を構成する一部となっているように感じられます。
そのため、一個一個のエピソードで匂わされる「孤独」は最終的に浮かび上がるであろう『百年の孤独』というキーワードの相似形になっているのではないか。
池澤夏樹は、要約が無意味になるほどの無数の挿話からなり、そしてそれらが全体でフラクタルを成している、と評している。
情報源: 百年の孤独 – Wikipedia
この批評ってそういうことを意味しているのかもしれません。
まだ半分も読んでいないものの、既に激しい感動の連続。
奇跡のような読書体験。
『百年の孤独』よ、どこまで僕を連れて行く??