サミュエル・ジョンソンて誰だよ?とお思いの方。上の写真がそのサミュエル・ジョンソンです(Wikipediaより)
確かに怒ってる!
英国では有名な人らしいです。
僕は知らなかったのですが・・・
この肖像を見ると、確かに怒っています。
眉間の皺なんて夜回り先生こと水谷修さんみたいです。
情報源: 水谷修オフィシャルウェブサイト/あした、笑顔になあれについて
なので、サミュエル・ジョンソンを知っている人からしたら、リディア・デイヴィスの短編集「サミュエル・ジョンソンが怒っている」のタイトルは「まあ、確かに彼は怒っているよね」という感じのものなのかもしれません。
僕らで言うと、芥川龍之介が右を見ている、とか。
太宰治がふてくされている、とか。
そういった類のものなのかな?
たった一行で完結する「サミュエル・ジョンソンが怒っている」
そんなタイトルを持った「サミュエル・ジョンソンが怒っている」の本文はというと、これがなんとたったの一行・・・というか一文。
蘇格蘭(スコットランド)には樹というものがまるでない。
これだけ(^ー^;
この本を置いていない啓文堂を先日ディスりましたが、こんなヘンテコな小説はなかなか置けないかもしれないのでこの場で啓文堂さんには謝っておきます。
すんません。
しかもこれ、タイトルとおなじくらいの長さの本文でありながら、タイトルも本文もオリジナルではなく、スコットランド人ボズウェルが書いたサミュエル・ジョンソンの伝記にある文をほとんどそのまま(解説による)使ってるとのことで、なんかもうリミックスとかそういう類のものみたいです。
サミュエルジョンソンはスコットランドを馬鹿にしていて、例えば彼が作った英語辞書の「オーツ麦」の項にはこんなことが書いてありました。
穀物。イングランドでは一般に馬に与えられ、スコットランドでは人が食べている
スコットランド人は家畜の食料を食っている、と抜かしています(^ー^;
で、これに対しサミュエルジョンソンの伝記を書いたスコットランド人ボズウェルの返しが以下。
これに対して、スコットランド出身のボズウェルは、だからイングランドにおいては馬が名高くスコットランドにおいては人が賢いのだ、とおかえしした。
火花散る応酬で面白いです。
本文があまりに短いために色々と調べてしまうのは人間の性ってやつなのか、単に僕が暇なだけなのか分かりませんが、「サミュエル・ジョンソンが怒っている」はたった一行しかない割に下手な長編一作読むよりはよっぽど楽しませてもらえました。
また、この一文、内容的には「スコットランドには樹がない」というものなのでしょうが、「樹というもの」「まるでない」というように装飾が加えられていて、そんなところも文がこれしかないために効果が際立っているように思います。
リディア・デイヴィスを読む体験
一行小説家、などとも呼ばれているというリディア・デイヴィスの短編集「サミュエル・ジョンソンが怒っている」には、56の短編が収められていて、中にはこのタイトル作のように一行だけのものもいくつかあります。
それなりにページ数のある短編もあるのですが、基本的に一般的な小説で扱われるような「おおごと」はほとんど起こらず、むしろそういう「おおごと」を扱う小説において無視されたり、ないものとされるような事象を、その小さい存在感そのままに描いています。
僕が読んでいてすごく気に入ったものに「私たちの旅」というのがあります。
帰りのドライブはどうだったのと母に電話で訊かれ、「問題なかったわ」と答える。だがそれは真実ではなく作り話だ。
(中略)
「問題ない」という言葉にはおびただしい量の省略が含まれていて、事実はそれとはほど遠い。
こんな導入に導かれて、「おびただしい量の省略」が一気呵成に語られます。
日々起こり、日々忘れられていく些末な諸々が洒落た文体でさらりと。
これはなかなか楽しい体験です。
同系統の「<古女房>と<仏頂面>」も、表現手法は異なりますがとても面白いです。
もっとも、どの短編もそういったものが描かれているというわけではなく、どういうことがしたいのかさっぱり分からないものもいくつかありました(^ー^;
そんなわけで、決して万人にお勧めできるわけではないのですが、ちょっと変わった読書体験をしたいのなら、これは結構オススメです。
本屋ではあんまり売ってないかもしれないので、Amazonで買うのがいいかもですが、ちょっとヘンテコ過ぎるので立ち読みしてからの方が無難かと思います。