ポー特集第二弾は史上初の推理小説「モルグ街の殺人」です。最初の推理小説ですが、事件解決の鮮やかさは中々追従者たちにも真似できていない極地に達してしまっています。
花開いたジャンルの創始者
ダヴィンチという本の紹介をする雑誌を今日購入したのですが、そこにはしっかりとミステリ特集が組まれていました。
日本ではミステリという言い方が定着しているみたいなこの推理小説というジャンル。
創始者があのエドガー=アラン=ポーだとしって軽く驚きました。
ポーの技術の高さは既に認識していたものの、ラブクラフト経由でさかのぼってポーにたどりついた僕には推理小説のイメージがなかったからです。
そこで、その第一の推理小説である「モルグ街の殺人」を読んでみました。
もちろん、青空文庫で無料(^-^)
読み始めてすぐ気付くように、これはまず事件ありきのミステリとは全然趣向が異なる作品です。
たぶん、ポーは色々と実験的なことがしたかっただけでたまたま探偵ものになった感じがします。
冒頭長々と語られる、分析に関する論考の証明として物語が幕開けします。
なので、本作は推理小説のフォーマットを創り上げた画期的作品でありながら、その実描いた本人にとってはただの手段の一つに過ぎないものだった可能性が高いです。
それが今や、そのためだけに本を読む人がやまほどいるくらいのジャンルとして開花して大繁栄をしているのですから歴史は分からないものです。
僕のミステリ遍歴
一応、軽く僕自身のミステリ遍歴を述べておきます。
速攻で終わります(^-^)
ニート時代に島田荘司や綾辻行人を読みあさりました。
しかし作者からの挑戦「情報はすべて開示した、犯人をあててみよ」に立ち向かった試しは一度もありません。
常にノンビリ読者として謎解きというよりは探偵の腕を傍観してきたなんちゃってミステリファンだった時代があります。
その程度です(^-^;
なんとなく最近はあんまり読んでません。
鮮やかさは色あせない
ミステリに出てくる名探偵にはみんな似たような空気があります。
御手洗潔にしろ、島田潔にしろ、エラリークイーンにしろ、あと他にもたくさんいるんですよね?(^-^;
これくらいしか僕は知りませんが、浮き世離れした天才肌みたいなところが共通してあると思います。
驚くべきことに、「モルグ街の殺人」に出てくる名探偵(としての役割を担う)オーギュスト=デュパンはこのイメージを既に体現しています。
で、彼は警察には解明出来なかった、密室殺人の謎をいともたやすく、大胆な発想で解き明かします。
もう、今のミステリとプロットは何も変わりません。
ポーは推理小説の第1作目を作った、というだけでは不当な評価になりそうです。
推理小説はそもそもがポーの小説の模倣に過ぎない、とまで言っても良いかもしれません。
ちなみに、モルグ街の殺人では犯人を当てるのはまず不可能だから不当だ、とウィキペディアには書いてありました。
まあ、確かに無理でしょう。
でもわりと簡単にそれらしい推測はつくと思います。
それよりも僕が個人的にすごいと思うのは、デュパンは謎を解明するだけでなく、犯人(厳密には違いますが、ネタバレに繋がるのでそうしておきます)自らを出頭させたことです。
「犯人はこの中にいます」
なんてセリフであぶり出すのでは無く、犯人がのこのこと出向いてくるように仕向けるのです。
そして出向いてきたことがなによりの犯行の証明になるという算段です。
僕が知らないだけなんでしょうけど、こんなに鮮やかに省エネ的に「解明」と「解決」の両方を同時にやってのけた探偵はデュパンが初だと思いました。
すごい。
なので、たぶんまだまだモルグ街は不朽だと思われます。
しかも短い。
ミステリで長いのは僕はあまり好みません。長くすればするほどなんでも出来ちゃうからズルいって思っちゃうんですよ(^-^;
完全にただのとばっちりですけど。
そんなわけで、モルグ街の殺人はいろんな意味でまだまだ楽しめる良作だと思います。