かしゆかの声ばっか集めると?(ニコ動)

アイザック・ディネーセン(カレン・ブリクセン)『イグアナ』を読んだら、清少納言超えてた

最近すっかり寒くなってきて空気も乾燥して空が美しいので、清少納言の枕草子でも読んでみたのですが…

いや、たしかにじんわり染み渡る素晴らしい文も多いですけど、ひどいのもあって腹が立ちました。

清少納言の裏切り

「にげなきもの」では、身分の低い人の家に雪が降る様子をディスってます。

ただ、時代背景的に差別する側にいた清少納言がこういうこというのは当時のスタンダードなのかも?と解釈しなければならないのかなとは思います。

どっちみち不快なことに変わりありませんが、枕草子が日本の歴史的に重要であるということはたしかなのでしょう。

別に今だって、差別的な意識ってなくなったわけではありません。

でもそこいくと、カレン・ブリクセンは時代超越しちゃってるよなって思ったのです。

帝国主義時代の支配者層

カレン・ブリクセンも立場的にはバリバリの差別する側のはず。

貴族と結婚して1914年に英国の植民地だったケニアに移住、夫婦で農園を経営。

そんな人が書いたものが、何でこんなに透き通っているんだよと。

帝国主義全盛の時代に植民地に移住なんかしちゃって、時代背景とか根強い差別意識の真っ只中いたんじゃないのかよと。

美しいものへの敬意

『アフリカの日々』収載の随筆『イグアナ』には、美しいものが3つ登場します。

それが、イグアナ、黒人女性がしていた腕輪、そして深海魚の剥製です。

この腕輪、ブリクセンはいたく気に入ったので家来に言って買い取らせたのですが‥白人の自分が付けると全くその輝きを失ってしまったと大いに落胆するのです。

安っぽくて小さな、金で買ったけばけばしいただの装身具になり果てた。

そしてその腕輪が美しかったのは、黒人女性の腕あってのものだったと気づきます。

腕輪の生命力を創りだしていたのはあの「黒さ」──変幻きわまりない、甘やかな褐色をおびた黒、泥炭や黒釉に似た土地の人の肌の色──と、トルコ石の青とのあいだに綾なす二重奏、色彩の対照にほかならなかったのだ。

この箇所、なんの曇りもない目で、純粋にその美しさに見惚れているように思えます。

価値判断のもとになっているのは、自分が目にした色そのもの。

白人と黒人との対立や激しい偏見や差別の背景なんて、ここからだけなら微塵も見られません。

もちろん、このブリクセンだって普段は黒人を労働に使っていたでしょうし、その権利や地位向上に尽くしたのかまでは分かりません。

それに、この腕輪をしていた黒人の女性は、宝石のある装身具を身に着けていたくらいですから奴隷などではなくそれなり以上の家柄の娘だったかとは思います。

しかしそれにしても、少なくとも美しいものがどうして美しいのか、ということにかけては、ブリクセンは時代背景を超えて美そのものへと向かう眼差しを持っていたと言っていいと思います。

その点では、もはや清少納言の及ばないところまで行ってしまっていると思います。清少納言の良さ凄さは別にあるとしても。

深海魚の剥製に対しての感動も、惚れ惚れするほどさっぱりしてそれでいて奥深いものがあります。

こんなにも活きいきとさわやかなものを送ってくるとは、海底での生命のいとなみはなんとふしぎなものか

すごくね?w

こんなに純粋に、シンプルな言葉だけでなのに読んでてワクワクして楽しくて感動して生命の神秘の奥底まで覗けたような気分がしてきます。

時代背景とか根深い差別の歴史とかふっとばして、ただただ美しいものに驚嘆し賛美するカレン・ブリクセン、素敵すぎる。

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