金縛りの歌、と宣言される「ふりかえるといるよ」。曲紹介時にはラブソング的な「そばにいるよ」なノリで曲名は告げられる…しかし。
これ、バッドエンド直行疑惑がどうしても拭いきれません。
というのも。
ふりかえるといる、の意味は
そもそもこのタイトルにある、ふりかえるといるよってどういう状態なのか?
ある人間が、振り返ったときに誰かいた、という状況では、
ふりかえったら、いた
と言うと思うのです。
ふりかえるといる、はこれとは少し違って、実際ふりかえったかどうかは分かりません。
実際にどうしたかの出来事ではなく、どういう状況にあるかを言っているだけというか…
誰目線?
『ふりかえるといるよ』の歌詞はひとり語りのスタイルになっています。
主語はないですけど、私なり僕なり一人称と考えていいでしょう。
ところが、「ふりかえるといるよ」の部分は他と独立してパラグラフになっていて、必ずしもひとり語りとも言えないような気がします。
後ろに誰かの気配を感じて、ふりかえるといるよ、と恐れおののいてひとり語りの延長で呟いているともとれますが…
うしろにいる誰かが、呼びかけてるとも言えませんか?あるいは、仲介する第三者の声とも。
所詮は金縛り前後の悪夢だとすれば、夢オチ付きで何でもありとはいえ、この可能性は地味に怖い。
生と死の境界ルール
後ろに誰かいる気がする、というのは多くの人にとって恐怖でしょうから、そんな悪夢を見るのもありえなくはないでしょう。
ただ、これが「悪夢でない余地」が微妙にありそうなのがすっごく怖い。
夢を見ている人が作り出した幻影ではなく、全く別の存在が声をかけている可能性です。
直接的に振り返らせることはできないけど、振り返らせたい。振り返らせることで、ルールを破らせこちらに引き込みたい。
そんな、悪意が隠されているような‥
直接的に振り返らせることができないのは、住む世界が異なるから。
別の世界。それはたとえば、死者の世界。
岸辺露伴の冒険
僕がこんな連想をしたのも、ジョジョの奇妙な冒険第36巻「岸辺露伴の冒険」が思い浮かんだからです。
そこで、こんなやり取りが交わされます。
ある女の子に、ある場所で「絶対に後ろを振り向くな」と言われた露伴先生。
そのわけを問うと、女の子は答えます。
なぜって「この世」と「あの世」の『決まり』なのよ
あたしたちの『魂』が「あの世」へひっぱられてしまうわよ
つまり『死ぬ』ってことよ
いつも音たてたり息をかけたり声を出したり「何か」がふり向かせようとするの
でも『ふり向いて見ない限り』決して触ることはできないから気をしっかり持ってね!
振り返ると死ぬこの場所は、言わば生と死の境目のような場所。
ここで露伴先生たちはまさにふりかえるといるよ、の状況に陥っています。
Perfumeの『ふりかえるといるよ』も、もしやこんな境界に立ってしまっている話だったりして。
良いエンディングはありえるか
で、その場合どうなるか。
露伴先生のヘブンズ・ドアーも無い状況で。
たぶん、この人は孤立してしまっていて相談する相手も心配して助けに来てくれる人もいなさそうです。
もし神社やお寺に行けたら、どうしてこんな状態を放っといた?と怒られそうなパターン。
すぐに振り返ってしまって、死亡エンド直行?結果苦しみや悩みから開放されて本人的にはメリーなバッドエンド?
いや、案外そうはならないかもしれません。
なぜならこの人には、ヘブンズ・ドアーは無くても金縛りがあるために動けないからです。
金縛りが解除されて動けるようになる=本当に覚醒したら、多分死者の世界の住人は手出しできないはず。
そう考えると、金縛りの意味合いがまるで変わってきます。
こんなに心は弱っているけども、なんとか踏ん張ろうとしているからこその防衛反応が金縛りなのかも、とか。
本人に防衛能力がなくとも、取り憑いている守護霊か発動させているのかも?とか。
さすがに話が逸れすぎた気がするので、ここらへんでお開きに。失礼しました。