アルバイト先のドラッグストアで今日も流れる、ちょっと意味の分からない歌詞の歌・・
大袈裟すぎる歌詞
最近特に驚いたのをご紹介します。
若旦那氏の『俺が俺が』です。
まあ、何はともあれサブタイトル的な「世界中が敵」という強力なワードです。
世界中が敵になるって、一体何をやらかしたんですか「お前」さん…(^-^;
世界の敵
世界中から憎まれるような存在って、無差別テロの首謀者(ビンラディン)とか、大量虐殺の指導者(ポルポト)とか、相当なレベルでのガチの悪人が思い浮かんだので、僕はこの歌の対象がいまいち掴めませんでした。
肩入れするつもりは全くありませんが、世界を敵に回すなんてことはなかなか出来ないことです。
たぶん、そういうほんまもんの「世界」のことを言いたいのではなくて、バイト先や学校で孤立してしまうときに子どもが感じるような意味での世界中ってことなのでしょう。
なら、そういう人を救おうとする場合にこの歌にあるような形式で慰めるのはちょっと好みではないです。
さかなクンさん
というのも、この場合世界を狭く考えすぎているところに悩みの原因がある可能性が高いと個人的には思うからです。
僕はむしろ、こういうときには下手に味方アピールするよりも、さかなクンさんの名文にあるようにちっぽけな世界をぶちこわしてあげることの方が強力な手立てとなる気がします。
そうはいっても?
とはいえ、若旦那氏が提示しているような「たとえお前が大量虐殺や凶悪無差別テロの首謀者となったとしても俺は味方だ」という全幅の信頼に癒やされることもなくはないでしょう。
癒やし、という言葉はだいぶ前から流行りだして今もそれなりに猛威を振るっていると思います。
だからこそ、この謎の大袈裟ラップも市場で一定の地位を築いているのだと思います。
でも僕は一言添えておきたいのです。
「どんなときも味方」は果たして本当に愛なのかということです。
再び俺の目の前が真っ赤になった。 このクソ女。放せ古泉。
動物でも人間でも、言って聞かない奴は殴ってでも躾てやるべきなんだ。でないとこいつは一生このまま棘だらけ人間として誰からも避けられるようなアホになっちまうんだ。
これは小説版「涼宮ハルヒの溜息」からの引用です。
「いつでも味方」とは全然違うスタンスが表明されています。
「このクソ女」、なんて言ってますが、「誰からも避けられるようなアホになっちまう」ことを阻止しようとしていますよね。
彼は最終的にいつでもハルヒの味方をしていると思いますけど、こうやって場合によっては強く牽制しようともします(だいたいいつでも牽制方向に動いてますよね(^-^;)。
「いくら周りの人間が味方してくれているとしても、お前に問題があるときは俺は敵に回ってでもお前のために動く!」とでも言えるこのセリフ、じつはこれこそが愛なしには取り得ないスタンスじゃないでしょうか。
一歩間違えれば束縛にも繋がりかねないですから、難しいところではあるのですが…
まあ、そういうことです(^-^)
ハルヒは男を見る目はある(断言)。