先日今年二回目の健康診断がありました。
特殊診断
研究室に配属になって特殊な化学物質をあつかうようになったため、例年の簡単な身長体重などの身体測定だけでなく、血液検査やレントゲンまで行う必要があるとのことです。
お昼を過ぎて少しした頃、僕は雨降りしきる中会場に向かいました。
ほかの研究室の人もちらほらいたり、先生方もいたりして自分が専門集団の一角となっている気分を味わいました(^-^)
さて、受付、尿検査を済ませて血圧測定を待っているとき、隣に見慣れた人が来ました。
秘書さん登場
「おっ。お疲れ様でーす」
研究室の秘書さんです(^-^)クリクリした目の可愛らしい人です。
僕は驚きました。
「秘書さんも検査受けるんですか?」
すると秘書さんはにこにこして
「私が管理しているからねーいろいろ」
と言いました。
僕はてっきりこの人は事務の人だと思っていたのですが、どうやらサイエンスの知識も持った専門家だったみたいです(^-^;
そういえば、日本だと秘書って空気読める雑用係って感じですけど海外行くとプロフェッショナル集団でむちゃくちゃ高給取りみたいな話を聞いたことがあります。
この人が高給取りかはわかりませんが、でも産休もらったりしたらしいですので、結構恵まれた待遇をされているのかもしれません。
そんなわけでいくつかある検査を待つたびに秘書さんと色々お話しました。
年も近いですし、結婚されてますのでとても落ち着いていて話しやすいのです。
ガンの想い出
それで、今回のような検査だけでなく、一度人間ドック的な総合的な検査を受けてみたいですよね、みたいなことを話してました。
秘書さんは近親で若くしてガンになり壮絶な闘病生活に入った人がいたとかで、僕もうちがガン家系で治療のために大変なことになったのを見ていたのです。
うちの場合、ガンで亡くなったのは母方の祖母、父方の祖父、そして従兄です。
特に従兄は年も近かったので、祖父母のときよりもずっとその死は衝撃でした。
いずれの場合でも、発見が遅れたことが一番残念だったことが共通していました。
祖母と祖父は脳梗塞をわずらっていて、そっちの治療のためにずっと病院に通っていました。
なのに、祖母の膀胱ガン、祖父の肺がんはずっと後になって、すごく進んだ状態になってようやく発見されたのです。
診療科の縦割りの弊害なのか何なのか知りませんが、医療機関に居ながら見過ごされてしまったのは非常に残念でした。
そんな話をしていると、秘書さんが思い出したように言いました。
「あ。覚えてる?逸見さん」
久しぶりに聞きましたが、忘れられるはずもありません。
逸見政孝さんの想い出
逸見さん‥アナウンサーの逸見政孝さんのことです。
彼は胃がんで1993年に亡くなりました。
たくさんの番組に出演してまさに絶頂にあった頃、突如会見でガンになったことを告白、仕事を休み治療に専念することを表明しました。
僕はその頃小学生か中学生だったかで、逸見さんは死ぬわけはないと思いました。
バッドエンドで終わる物語にはまだ触れる機会も少なく、頑張る人間が報われないわけがないと思っていました。
それに彼はテレビの看板、最高の医療技術が施されて生還した後特番がくまれるに違いないと思いました。
自分にとって死というものは全くリアリティの無いことだったのです。
その年のクリスマス。
僕は母と弟と三人で神田の古本屋街に遊びに行きました。
僕は神田が大好きでこの日をとても楽しみにしていました。
着いてすぐ、文具屋で母が画材を見ていました。母は絵が好きだったので特殊な紙とか絵の具とかをよく探していました。
僕と弟は、そこにあった90色くらいの色ペンセットに感動して、これが欲しいと言い張って買ってもらったと思います。
ちょうどクリスマスだったので奮発してくれたのでしょう。
ただ、そのとき母に「これから本屋行くのに、プレゼントはこれでいいの?」 と確認されて、それでも僕たちは欲しい欲しいとねだりました(^-^;
さて、その帰り道。
地下鉄のホームで電車を待っていたときのことです。
「あ」
母が、キオスクの方を見て絶句しました。
僕と弟も、すぐにそれを見て、言葉を失いました。
逸見さんの訃報の見出しがそこには並んでいたのです。
知れば最後
「人間は必ず死ぬ。
命には期限がある。」
それを思い知らされた、最初の出来事だったと秘書さんは表現し、僕もそれに同意しました。
自分の中でもカウントダウンが始まった気がしました。
一度知ってしまったらもう二度と逃れられない、知れば最後の事実でした。
秘書さんと話したのはここまでです。
可愛らしい笑顔を見ながらの待機だったので針を刺される採血も屁でも無かったという笑
ところでこの話で命の虚しさを感じてしまったり、死ぬのが怖くてたまらなくなってしまったら。
ちょっと怖いってレベルではなく、夜も眠れぬくらい怖くなってきたのであれば、プラトン著『ソクラテスの弁明』を読むことをお勧めします。
正義のために死も恐れない崇高なソクラテスの姿、なんていう勘違い(そんな胡散臭い話じゃなく、もっとずっと単純なことを彼は語っています)をすることなく、ダイレクトにソクラテスの哲学に迫れるチャンスです。